本質感

世の中の出来事や日常をモチーフに、「セカイの本質」を考えみつける思考ブログ。物語とユーモアをまじえ、「あらたな視点」をあなたに

「仕事だけが人の役に立つ!」と思っている人の末路

ある少女のお話。
少女が若い頃、頭に花をつけるファッションが流行した。
しかし、流行は変わりもの。その流行はアッサリと終わった。
でも、少女はそのファッションを続けた。周りがバカにしても彼女は続けた。
大人になっても続けた。そして、亡くなるまでそれは続いた。
亡くなった時、頭に花をつけて眠った彼女は、どこかキレイにみえた。

羽の変わりに花な視点蝶

こんにちは、視点蝶です。

人って信念をもったりしますよね。
「自分はこれが正しい!」って。
そして、信念と信念がぶつかり、人は争ったり、新たな発見をしたり。
それが、良いのか悪いのか。

そう考えると、何も信念がないなら人とぶつからない。平穏な毎日?
いや、それも「私は何も信念をもたない!」という信念だわ。
信念である以上、けっきょく人とぶつかるのね。やれやれ。

そんなわけで、今回も「役に立つ人間」について。

近所トラブルのニュース

先日、京都市の近所トラブル事件のニュースをみた。

長い期間、朝や深夜かまわず、近所の人にしつこく暴言をはき続けた年配の男性の事件。
ババア!恨んでやる!絶対に許さない!」とか。
しつこく暴言をはき続け、一度捕まり執行猶予となる。しかし、釈放されて、すぐに暴言を再開。そこから2年くらいかかり、また逮捕となったよう。
そんな、近所トラブルの事件。

一見、おかしな人の事件のように見えるけど、どうやらそこにいたる経緯があるらしいわ。
以前は、普通に近所の人と挨拶をかわすような付き合い。変なトラブルもない。
そして、男性は退職し、そこから「奉仕活動」をするようになった。
頼まれたわけでもないのに、ゴミ置き場の清掃したり、近くの駐車場の草取りをしたりと。
人の役に立つ行動をしだした。

しかし途中から、その行動が過剰になっていく。
人の家の庭に入り、勝手に木を剪定したりと(他の具体的な例はあげてなかったけど、他にもありそう)。ありがた迷惑な状態に。

そんな中、男性が草取りをしている駐車場で、何度もタイヤがパンクさせされる事件がおきる。
調査してる警察に、誰かが「彼が犯人だ!」といった言葉を聞いたのか、彼が勘違いしただけなのか知らないけど、そこから彼の怒りが爆発する。
そして、暴言の近所トラブル事件へ発展と。

これを見て思ったわ。
彼は「仕事だけが人の役に立つ!」と思い込んだ人なんだなと。

仕事だけが人の役に立つ

高度成長期のお父さん達は、家をかえりみない仕事人間が多い。

そういう人は、仕事をしている時は「自分はすごい人の役に立っている」と強く思っているわ。
仕事で役に立っているし、社会に役に立っているし、家族の役に立っている。
だから、家族を犠牲にするのは、しょうがないことだと思っている。
逆にいうと、「家族を犠牲にするほど、自分はスゴイことをしている」と思っている。

また、会社の大きな力を自分の力と勘違いしたり、高い役職につくことで、より高い次元で自分は人の役に立ってると、強く思っている。

そうして、同時に「仕事以外に役に立つことはない」と思うようになるのよね。
すると、仕事だけに自分の存在価値をみいだすように。仕事以外は、何の役に立たたないことなのだから、見る必要もないし、考える必要もない。
仕事だけが人の役に立つ!そして、仕事は私そのもの!と。

しかし、仕事というものは、いつか無くなるわ。
定年退職の場合もあるし、リストラの場合もあるし、会社が倒産することもある。
そうなった時、そういう人の恐怖はとてつもないでしょうね。
仕事で役立つことで、自分の存在価値をみいだしていたのに、それが無くなるのだから。
自分の存在価値が無くなるのだから。自分が無いのだから。
アレ?私って何だっけ?」と気づいてしまうのだから。

そして、自分の存在価値をみいだせなくなった人は、何を思うのかしら。
もちろん、なんとか人の役に立つことをみいだして、自分の存在価値をたもとうとする。あがこうとする。

しかし、今まで「仕事以外は役に立つことじゃない」と、いろんなものを無視してきた彼らが、何かをみつけることは難しいことね。

事件の背景

そして、ニュースの彼は、「奉仕活動」をやることにした。
自分の存在価値をみいだすために。

奉仕活動は、わかりやすく人の役に立つ行為。
しかし、昔から自然にやっていたことならともかく、仕事しかやってこなかった人が突然何かやりだすと、どこか周りとズレた行動をしてしまうわ。
物事は、ただやればいいだけでなく、手順があったり、人との関係性があったりと「」があるのだから。

例えば、たまにやる夫の家事の手伝い。
夫は、自分ではやれてるつもりなのにできていない。家事の専門家の妻からすれば、何も考えていないダメなやり方だったりする。簡単そうにみえて、家事にも奥がある。それをわかっていないのよね。

そのように、ズレたままその奉仕活動をやる。
なので、彼が本当に人の役に立っていたかは怪しいわ。実は、全然できていなかったりしたかもしれない。

さらに、自分の存在価値を失っている状態なのだから、強くその行為に対し自分の存在価値を求める。自分はスゴイ人間なのだから。スゴイことができるのだから。そして、過剰にやる。で、ズレて、ありがた迷惑になったりと。

そんな彼がキレたのは、明確かしら。
それは「自分の存在価値が否定された」のだから。

仕事だけが自分の存在価値、そして仕事がなくなり恐怖、自分が壊れそうになる。そして新たな役に立つ行動して、存在価値をたもとうとあがく。すごい頑張る、頑張る、頑張る。しかし、それが否定される。近所の人の役に立っているはずが、人の役に立たない犯罪者扱い。崩壊。

彼には「実はオマエは、何にも役に立たない人間なんだよ」と言われたようなものでしょうね。
そして、彼は無意識に「自分には何もない」と、明確に気づいてしまったのかもしれないわ。
それは、もうキレるしかないわね。叫ぶしかないわね。
私はここにいる!」と。

まとめ

まあ、この事件の具体的な情報を知らないから、ただの想像でしかないのだけど。
でも、そこそこ当たっていると思う。

それに、彼のような事件になるケースはともかく、仕事人間の方は、大なり小なりそういうところがあると思うわ。

ちなみに、私の友達の退職した父親も、少し似てる。
彼も仕事人間。退職後は、以前はまったくしなかった家の手伝いをするようになった。
しかし、それが少し過剰で、ありがた迷惑になっているところがあるのよね。

例えば、雪ふる冬の時期。
朝早くから雪かきをする。他の家族は寝てる時にやるので、もちろん騒音。しかも、雪かきの範囲が少し広いので時間がかかり、長い騒音。みんなが起きた後にやればいいのに、そんな配慮はないと。
それでも、「普通の」雪かきならまだいいけど、ほんの1cmくらい積もっただけでも毎日やったりと。それに対し、家族がイチャモンつけると怒るし。彼は自分が役に立っていると思ってるので、怒られる理由がわからない。こりゃダメね。

これらのように、「仕事だけが人の役に立つ」と思うことは危険。
自分の存在価値を危うくするし、自己中心になりがちになるし、いろんな物事がみえなくなるし、周りとの関係にも問題を起こしやすくなる。

なので、仕事だけが役に立つのでなく、もっといろんなことが人に役に立つことを知らないといけないし、普段から人に役立つ、いろんな行為を意識して広くやらないといけない。(前回の記事参照

そうなると、たとえ仕事がなくなっても、自分が役に立たない人間なんて思わない。
いろんなことに自分が役に立っていることを知っていると、何か一つの行為が否定されようが、自分の存在価値をたもてる。自分の存在を、たくさんのもので繋げることができるわ。
そして、余裕をもって、「私として」幸せに生きていける。

まあ、仕事だけに限った話ではないけど。
とにかく1つの行為(また1人の人間)だけに、自分の存在価値を強くみいだすのは危険という話ね。