本質感

世の中の出来事や日常をモチーフに、「セカイの本質」を考えみつける思考ブログ。物語とユーモアをまじえ、「あらたな視点」をあなたに

七夕でみんなが幸せになるアイデア

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若い愛しあった2人は「毎日会いたい!」って思い悩んでいるようね。

でも時がたつと「旦那なんて1年で1回家にいるくらいでいい…」と思い悩むようになるわ。
いつの時も「距離」というのは悩みのタネね。
まあ、距離があるだけでも幸せだけど。

 キラキラな視点蝶

こんにちは、視点蝶です。

今日はロマンチックな七夕。
七夕といえば、保育園や学校や町のイベントなどで、子供達が願いを短冊に書いて、笹につるしているんでしょうね。
一年で二番目に皆が願う日。

大人は「短冊に願いを書くと、願いがかなうよ。さあみんなで願いを書きましょう」といい、子供達はワクワクと希望をもって短冊に願いを書き、笹に短冊をつるす。

願うことを信じて。

かなうと信じて。

あれ、あれ?おかしいわね…

先に発言した大人は、短冊に願いを書いて願いがかなうなんて思っていない。
これはどういうことなのかしら。

そりゃあ、紙に書いたからといって願いはかなわない。
実際に、昔は子供だった大人も願いを書いたことがあるでしょう。
しかし夢を描いたとしても、現実はとても厳しく、かなうことはほとんどない。
かなったとしても一握りの人間。
願いなんてかなうなんて思ってもいない。

そんなことを思いつつ、大人たちは子供に向けていう。
願いはかなうのよ」と。

それはフェアじゃないんじゃないかしら。
自分たちが信じていることを、子供たちに言うべきだとわたしは思うわ。
いえ、「絶対かなうよ!」ぐらいまで真剣に信じてる、ロマンチックすぎる大人も困るけど、もう少し願いを信じてみようよと思う。

という前置き。

そして今回は「願い」のお話。

実感できない願い

人が願いを信じるには「願いを実感」しないと信じられない。
それは自分の願いじゃなくてもよく、他人の願いでもよいと思う。
他人の願いがかなっただけでも、人は願いを信じるだろうし。

願ったことがかなった人はそれなりにいるでしょう。
大きな願いもあれば、現実的な願いも。
でも、そんな人が本当にいるのかよくわからない。

短冊がよくないのは「願いをしっぱなし」ってところ。
考えるに「願いをしっぱなし」でなく「感謝する」ことも大事なんだと思うな。

誰だっていうでしょう。
人にお願いして、何かしてもらったら「ありがとう」って。

かなった願いをつるす短冊

つまりは、「かなった願いをつるす短冊」があってもいいと思うのよ。
七夕の願う短冊とは別に、願いがかなったことをつるす短冊を用意する。
そして、かなえてくれてありがとうの感謝をこめて、かなった願いの短冊を笹につるす。

もし、その短冊をみたら人はどう思うかな?子供は?大人はどう思う?
願いはかなうんだ!かなうもんなんだ!
願いはかなうのだと実感し、夢や希望を胸をふくらませる。
またそれをキッカケに、前向きに人生を歩むこともあるでしょう。

そして願いを信じた心で大人は子供にいう。
願いはかなう」と。

最後に

そうだわ。その行事を命名するなら「七卸夕(たなおろしばた)」と名付けよう。
「棚卸し(たなおろし)」とかけた。願いの棚卸しという意味で。
うまいが、ちょっと言いづらいかな。

もし人の願いがかなった短冊が、年々追加されていった笹なら、それはとても素晴らしいものになるでしょうね。
何十年もたまった願いの集まった笹なら、とても壮観な景色。想像するだけで素敵。
まあ、多すぎて1つの笹ではささえられないけど。

七夕イベントとしてそういうのが各地にあって、願いをみて歩くツアーとかあると面白いかも。
地域によって願いの特色とかが出たりして。
簡単にできる地方活性だわ。

そんな願いを信じるセカイを思った七夕でした。

※まあ、すでにやってるところあるかもしれないけど