本質感

世の中の出来事や日常をモチーフに、「セカイの本質」を考えみつける思考ブログ。物語とユーモアをまじえ、「あらたな視点」をあなたに

セカイは分けられ、物心は生まれ、人は争う

※当サイトではアフィリエイト広告を利用しています

ある2人の少年のお話。
彼らはいつも競合い、お互いが相手に負けたくないと強く思っていた。
彼らの前に1本のナイフがおかれ、彼らは問われる。
さあ、2人でケーキを分けなさい」と。

争いをうむほど美味しい視点蝶ケーキ

こんにちは、視点蝶です。

「物心がつく」という言葉があるけど、「あっ、私この世で生きてる!」と思った時がそうなんでしたっけ?
初めて自分を認識した時。
私は、そんな瞬間を覚えていないわね。いつの間にかだったし。

ちなみ、あなたは「初めて自分の物」を持ったという記憶はあるかしら?
「あっ、これは自分の物なんだ!」と。
これは誰の物でもない、自分だけの物。そして、誰にも渡さないと。
それも、「物心」というのかしらね。

というわけで、今回は「自分の物」について。

スリッパ事件

ある若者から聞いた、興味深いスリッパ事件のお話。

その家では、昔からスリッパを誰のものと決めず、共同ではいていた。何十年も。
しかしある日、ちょっとした事から、母親がスリッパを一人一人分けようと言い出した。
その若者は、特に気にせず了解した。
そして、家族それぞれに違うデザインのスリッパを、母親は買ってきた。
それぞれ個別の、スリッパ生活の始まり。

異変は、すぐに起きた。
若者のスリッパが、蹴られてしまっているのだ。
蹴られているというか、大きく押し出されている。
そのせいで、スリッパ置き場の横にある、棚の下のスキマに入り込んでいる。
するともちろん、スリッパをはく時に面倒だ。
スキマから取り出し、はくことになる。ストレス。

意図的というより、偶然そうなったのだろう。
若者の家族は、おしとやかな家柄とは逆なのだから。

若者は、最初はそれほど気にしてなかった。
しかし、そのことが頻繁におこり、若者はイライラしだした。
そして、家族に文句をいう。争う。
それによって、一時的にそれは無くなったが、次第にまた起こりだす。
若者は、またイライラしだす。

後は、ループ。

分けることで争いを生む

といった、スリッパ事件。
下らないといえば、下らないお話なんだけど(笑)

しかし、スリッパを個別に分けなければ、こんなどうでもいいことで若者はストレスを感じなかったのでしょうね。
平穏な日常が、こんなことで崩れる(まあ、家族内でよくある小さい揉め事だけど)。
分けることの恐ろしさを感じるわ。

物を分けることで、争いが生まれやすくなるのよね。

ちなみに、争いの代表の「戦争」もそう。
土地を分ける。土地を分けることで、争いが生まれる。
「俺の土地をおかしている!」と過敏になったり、「オマエの土地よこせ!」と横暴になったり。
こっからここまでが自分の物で、こっからここまでがあなたの物。
それによって、何らかのキッカケで揉め事が起き出すわ。

日常的な例でいうと、「子供部屋」というのもそうね。
今まで自分の部屋がなかった子供に、親から特別に自分の部屋として与えられる。
分けられる。家族の中で、自分だけの部屋として分けられる。

部屋を与えられた子供は、自分だけのセカイが与えられ喜ぶ。
ここは自分だけのセカイ。誰にもおかされない自分だけのセカイ。
そして、母親と揉めるのよね。
「ここは俺の陣地だ!勝手に入ってくんな!」と(笑)

でも、それが過剰になると「自分の部屋だけがこのセカイの全て」と思ってしまうことも。
外の世界に一切干渉しない。ここだけで生きていくと。
そして、「引きこもり」になったり。
そうなると、守る相手との「やっかいな大きな争い」になったりするわね。

自分の物は、自分そのもの

そんな感じで、物を分けるというのは争いを生みやすいし、物事によっては周りが酷い影響を受けるわ。
なぜ、そうなるのかしら?

やはり、「自分の物」となると、その物を「自分自身」としてみてしまうのでしょうね。
その物が、私そのもの。
するとどうなるかといえば、自分自身である以上「よりよい状態」にしようと考える。
人が生きている以上、「よりより人生」を歩もうと自然と思うように。

だから、「よりよい状態」を崩そうとする行為に過敏に反応するのね。
私の人生そのものを、おかそうとしている行為だから。

または、「よりよい状態」を強く思い、自分の物をもっとよくしようと、相手を攻めようとしたりすることも。
相手の物を、自分の物にしようとしたり。自分の物のために、相手の物を崩そうとしたり。

そう考えると、分けて「自分の物」にするということは、怖いことでもあるわ。

分けることのメリット

でも、分けることにもメリットはあるのでしょうね。

子供部屋の例でいうと、分けることによって「責任感」をやしなうことができる。
責任感をもって、自分の部屋を管理しようとするでしょうし。
大人になるために、大事な能力の一つ。
他にも、掃除する力や、整理する力、レイアウトの感性を磨いたりと、いろんなメリットも。

後は、精神的にも「リラックスできる場」になったりと。
今のギスギスした世の中で、自分が安心して逃げ込める場所があるのも大事ですしね。
心の安定を保つためにも必要だったりする。

まあ、土地も、分けることで自分達のテリトリーとして、安心して生活できる面もありますし。
自然の動物達もしてることですしね。

自分の物と思わない

しかし、分けることによる争いは、大きな問題になる危険をはらんでいるわ。
そこで、それを避けるには、どうすればいいのかしら?

簡単に考えると、分けないで「みんな共同の物」にすれば争いは起きない。
ならば、自分がどうとか、相手がどうとか考えない。
でも、現実で考えると、いろんな場面で分けるということは起こってしまうわ。
分けつつも、争いにならいない方法。

となると、「自分の物」と思わなければいいのかしら。
結局は、「自分の物」と思うことで、「自分自身」としてみるのだから、過剰に感情が反応し揉めるタネとなっている。
ならば、そうでなければいい。

だったら、「かりてる」と思えばいいのよ。

子供部屋でいうと、「自分の物」でなく「親からかりてる」と思うことが大事。
親からかりてるのだから、自分の物と思わない。
だから、自分の部屋を、自分自身としてみることはなくなる。争いはなくなるわ。

ちなみに、世の中には、そういう風にしている親がいると聞いたことがあるわね。
「この部屋はオマエの部屋じゃない。親である俺がかしてるんだ!」と。
その親は、どういう意図で言っているのかわからないけど、今までの考えから言うと、それって正しいわ(まあ、父親の威厳を保つために、言ってるだけかもしれないけど)。

戦争という争いを生む、土地もそう。
人々が、土地は「自然からかりている」と思えば、争いなんてなくなるのだけどね。
まあ、今からそういう風に考えるのは難しいのだけど。

ちなみに、昔の部族の人がそういってたのかしら。
「この土地は、自然の神々からかりてるだけだ」と。
昔の人は、いい事いうわね(微笑)

まとめ

人間社会になってから、人は分けて分けて分けて分けまくってきたわ。
そして、「自分の物」をたくさん集めてきたし、自分の物をさらに、よりよい状態にしようとしまくってきた。
自己中心な人が増えたし、最近なんて国自身が個人主義を主張したりと、大変なセカイ。
分けられたセカイ。自分の物だと主張するセカイ。

でも、よく考えてみれば、人は自分の物なんて何ひとつ無いのにね。

自分の部屋も、家も、土地も、物も、金も、愛も?、命も?
無いものを有ると主張する人々を、蝶である私は笑うべきなのかしら。
そんなセカイを思う今日このごろ…

ちなみに、スリッパ事件の若者だけど、その後「元のみんな共同のスリッパに戻そうよ!」と主張したけど、母親の意味のわからない言い訳に却下されたもよう。
セカイの平和のために、彼は今も戦っている(笑)