本質感

世の中の出来事や日常をモチーフに、「セカイの本質」を考えみつける思考ブログ。物語とユーモアをまじえ、「あらたな視点」をあなたに

GWや連休で外出するのは、とても危険な行為だ

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ある引きこもりの青年のお話。
彼は外に出るのがとても怖かった。
外に出ると、人が自分を見ているように思う。
そして、ダメな自分を責められるような感覚におちいる。
しかし、彼が一番怖いのは、外には「自由」があるからだった。

追いかけられる視点蝶

こんにちは、視点蝶です。

最近、3連休だったけど外へ出ることなんてしません。旅なんてしません。
ちなみに、ゴールデン・ウィークのような大型連休でもそんなことしません。

わざわざ人がたくさんいる中に出かけるなんて、狂気の沙汰だと思うわ。
あんなにウニャウニャ人がいる中にいるなんて耐えられない。
普通の人は、よくあんな中にいると思うわね…

人って、大人数の中にいることで錯覚したいのかしら。
「祭り」という錯覚。なんか、たくさん人が集まることで祭り気分。
彼らの耳に聞こえる「ザワザワ、ザワザワ」という人のざわめきは、「ワッショイ!ワッショイ!ワッショイ!」と聞こえるのかもね(笑)

そんなわけで、今回は「外出」のお話。

外に出るのは危険だ

毎回思うのだけど、連休に大人数のいる外に出るのはとても危険だと思う。
すごい危険度が増している。

まず、今まで大きな箱におさまっていた人達が、一斉に散らばる。
こんなにも人はどこにいたのだろうというくらい、人がワサワサといる。
とてつもない大人数。
もちろん、人が多ければ多いほど、トラブルは起きやすくなる。
とても危険だわ。

そして、連休の外出は楽しい。楽しいと思うから危険。
楽しいということは、人は浮かれる。
楽しさに浮かれれば浮かれるほど、危険への意識は薄れる。
なら、危険が近づいているのにボケーと気づかなかったり、危険なことがわかっているのにノリで危険なことに近づいていってトラブルとなったりする。
だいぶ危険だわ。

さらに、大人数という点が不味い。
人は、まわりに大人数がいると、その塊、グループと一体になろうとする習性がある。
知ってる人だろうが、知らない人だろうが関係ない。
そして、一体となると人は物事を考えることができなくなる。自分の意識がとぶ。
そうなると、もちろん考えることができなくなり、危険が増す。
浮かれると同じように、危険を察知することもできなくなるし、ノリで危険に近づく。
とっても危険だわ。

このように、大人数の中に外出することは危険。
なので、連休は外出すべきじゃないと思うの。

危険だかこそ外出すべき

いえ、危険が増すから、人は連休中に大人数のいるところへ外出すべきなのかもしれない。
あえて、外出すべきなのかもしれない。

連休の大人数がいる中への外出はだいぶ危険だけど、普段の生活でも家から外へ出るということ、外出することは危険。
事故にあうかもしれないし、事件にまきこまれるかもしれない。
最近だと、熊に出くわすかもしれない。
危険は常に存在するし、大げさにいうと死の危険だって常にあるわね。

でも、人は外出することに慣れて、危険を忘れている。
毎日、学校や職場への同じ道を繰り返し通っていると、ここは絶対に安全だと思いこむ。
そんなトラブルなんて絶対に起きるわけないと思う。
それって、とっても危険なこと。

だからこそ、連休には外出するということはよいのかも。
そういう普段とは違う場所、トラブルや危険がいっぱいのところに身を起き、危険を感じる。
または、実際に危険な目にあい、危険だと理解する。
そうすることで、再び認識を取り戻す。

外へ出るということは、危険なんだと。

すると、普段の生活でもどこか危険に対する意識が高まり、安全な生活を送れる。
そういう意味で、連休に外出することは大事なことかもしれないわね。

まとめ

「人は家が一番だと認識するために旅をする」と、誰かがいっていた。
この表現は素敵。確かにそう思う。

そして、この言葉をかりて、今回の話でいうと「人は普段の生活で危険を認識するために旅にでる」といえるのかな。

しかし、私は普段あまり外出しないので、たまに外に出るとついボケーと歩いてしまうわ。
家では、よく考え事をしながら行動しているので、つい外でも同じように考え事をして歩く。
意識がとんで、いつの間にか目的地についてたりすることもある。
すっごい危険。ダメねコリャ(笑)

皆さんも外には気をつけてくださいね。