本質感

世の中の出来事や日常をモチーフに、「セカイの本質」を考えみつける思考ブログ。物語とユーモアをまじえ、「あらたな視点」をあなたに

恋愛(または結婚)相手は「見た目」より「中身」!…ではなく「可能性」でみる!

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ある恋する女性のお話。
彼はイケメンだった(ブン)
彼は優しいし、私を楽しませてくれるし、性格がとてもよかった(ブン、ブン)
だから、私は彼と付き合った(ブン、ブン、ブン)

ああ、蝿がうるさい。

視点蝶が進化した!…という夢をみた

こんにちは、視点蝶です。

最近、女性と付き合ったことのない、あきらかに女性なれしてない、あまりイケてない東大卒の局のスタッフの若い男の子を、うわさのナンパ塾で学ばせてナンパさせてみよう!という内容のテレビ番組をみたわ。

ナンパ塾なんて怪しさマックスのところだけど、そこで教えているノウハウは聞けば「なるほど!」とうなずけるものだった。確かに理論的で、心理をついていて、戦略的。

で、その子は塾で学び、実践となり銀座でナンパ。
もちろん初めてなので、何度やってもぜんぜん上手くいかない。
だけど、何十回目かにナンパが成功して、お茶をして、LINEを交換するまでにいたった。
成功した時は、「オー!」とちょっとした感動もの(笑)

ナンパ塾、あなどれないわ。

でも、そこでちょっと思ったのは、「人って話しかけられたいのかな」ということ。
遊んでいる感じ以外の普通の女性は、ナンパなんて絶対に嫌!と思っていたけど、そうじゃないのかもね。
やっぱり、どこか「出会いたい」と思ってるし、「私を見て欲しい」という思いがあるのかも。
だから、意外とこられると話を聞いてしまう人もいるのかな。可能性はゼロじゃないと。いや、意外とデカイ?

ふむ、ナンパ、あなどれないわ(笑)

そんなわけで、今回は「可能性」について。

繰り広げられる「見た目」か?「中身」か?論争

恋愛(または結婚)相手を選ぶ時に、「見た目(外見)」が大事か?「中身」か大事か?の論争が起きる。

なんだかんだいっても見た目よ!、イヤイヤ最終的には中身が大事よ!、中身?イヤイヤ綺麗ごというなよ!とか。
そんな論争がよく盛り上がる。

まあ、見た目がよくても中身が最悪だと、付き合い続けるのは難しいし。
性格がよくて、見た目がいまいちだとモチベーションがあがらなくて、付き合い続けるのが難しくなったりするし。
難しいわね。

まあ、結局どっちもソコソコ必要ということかしら。
「見た目で判断するのはいけない!」みたいにいう人もいますけど、人は形に価値観を感じる生き物ですから、やはりそういうところも大事かな。

でも、こういうのは好みもあるし、何が気にならないかというのもあるし、正しいとか正しくないとかの問題でもなかったりしますよね。それに、人は単純に「見た目」と「中身」だけで判断してるわけじゃなかったりしますし。いろんな要素がからみあっていたりと。

まあ何にしろ、生理的に無理じゃなくて、ソコソコ幸せだったら、どっちでもいいんじゃないかしら(笑)

しかし、この論争で気になるのは「相手」についてのことばっかりだったりする。
相手の見た目がどう、相手の中身がどうと。

そこで、「自分」という視点から考えてみるわ。

相手を見るスキルはあるのか?

人は、相手の「見た目」や「中身」を判断しようとするけど、それってけっこう難しいこと。

判断するには相手を見る力、スキルが必要です。
それは、誰でも簡単に身につけれるようなスキルじゃなく、けっこう難しいスキル。

特に、「中身」の判断は難しいわね。

ある程度の付き合いで、相手の人間性をわかったと思っていても、「実際は違った」なんてことはよくある話ですし。
それに、恋愛なんて相手にいい部分を見せようとすることが多いので、本当のことは隠したりする。余計にわからない。
実際に本当に相手の中身を見抜けるスキルの高い人なんて、ごくわずかの人。
例えば、長く一緒にいる母親ですら、自分の子供のことをよくわかってなかったりしますしね。
普通の人がわかるのは、せいぜい自分に近いタイプの人だけかな(とはいっても、近くても男女ではまた少し違う。それが余計に失敗をまねくのかしら)。

それに、「見た目」を人は簡単に良し悪しを判断できると思っているけど、実際は難しいもの。

ただ顔立ちの整っている「イケメン」「美人」が、見た目が良いと思われているけどそういうわけでもないわ。それは、とっても小さいレベルの見た目の話。
見た目とは、100均のプラスチックのコップをみて整っているかどうかを考えるのでなく、職人が手作りした陶器の湯飲み茶碗をみて、その美しさを考えるようなもの。
ただ整っているか整っていないかの判断じゃなく、そこにある表現、深み、面白さなどを感じる力があるかという話でもあるわ。
こちらも、センスやスキルが必要だったりするので難しいものです。

このように、「見た目」と「中身」の判断は高いスキルを必要とし、難しい。
なのに、「見た目」と「中身」とかいいますけど、本当に見る力をもっているか怪しいわね。

等身大をみると悪くなっていく

恋愛に関係した言葉ではないけど、ゲーテの言葉にこんなものがあるわ。

「人は等身大の扱いを受けると、現状より悪くなる。秘められた可能性をすでに開花させたものとして扱われると、その可能性を実現させることができる」

『アイデアマンのつくり方』ジャック・フォスター(p.41)より引用

ちょっと面白い意見。

この言葉でいうと、「等身大」というのは「見た目」と「中身」ともいえるわね。
等身大である「見た目」と「中身」をみてると、現状より悪くなると言いかえれる。

つまり、「見た目がいい!」と判断して、付き合ったとしても、その等身大でみてる限りでは、2人の関係性はよくならないといえる。悪くなっていく。そして、最悪、別れるということに。
また、「中身がいい!」と判断しても同じで、「見た目も、中身もいい!」と判断しても同じこと。結局、等身大をみて付き合っているのだから。

なぜ、等身大だけをみて、そういう扱いを受けると悪くなっていくのか?

等身大だけでみると、「それ以上にならない」からかもしれないわね。

恋愛だと、特に良い面だけをみて、付き合うことになる。その良い面が、さらにどんどん良くなっていけばいいのだけど、大抵の人はそんなに変化することはない。
逆に、付き合っているうちに、どんどんボロが出て、悪い面がどんどん出るだけね。
そうなると、二人の関係性は悪化の一途をたどる。

また、悪い面があまり出てこない場合でも同じ。
この人はこういう人だ」と終わってしまうと、「それ以上」の2人の未来は見えない。予想通りの未来しか見えず、未知の未来は見えてこない。予想通り…それって、退屈で人は飽きるわ。

さらに別のケースでは、自分はどんどん変化してるのに、相手は当初に判断した等身大のままという場合もあるかな。女性はどんどん変化して、男性は変わらず子供のままとか。
そのギャップに嫌気がさして、悪化するということも。

このように、等身大で判断し、等身大で付き合っていくとゲーテのいうとおりに悪くなっていくわ。

そう考えると、「見た目」とか「中身」とか論争してることが、なんだかどうでもいい話に聞こえてくるわね。
結局、それは「等身大」なのだから。

可能性をみることで素晴らしい相手に

じゃあ、見た目でなく中身でなく、どうすればいいのか?

そこで、ゲーテの言葉の続きで「可能性」でみるという話。
その人が「等身大」の人間でなく、「秘められた可能性をすでに開花させたものとして扱う」ということ。

この人は、悪い部分があるけど、それを良い方向に変えられている。
この人は、良い部分があるけど、もっと良い方向に変えられている。
そんな可能性が開花している人だと。

そんなふうに思い扱う、接する。

例えば、こんな感じなのかな。

あまり美味しくない料理をだしてくる女性に…
おっ、前より美味しくなってる。料理の腕があがってきてるんじゃない

仕事で失敗して自信なくしてる時に…
私はアナタの才能を信じてる。アナタなら次はきっとできるわ

家事をあまり手伝ってくれなくても、ちょっと手伝ってくれた時に…
アナタはいつも家事を手伝ってくるのね。ありがとう

自分は暗いつまらない人間だという思ってる相手に対して…
アナタっていつも面白いこというのね。一緒にいて楽しいわ

といった感じで、可能性をみて扱うということ。
なんか、少し違うけど「褒める」ということに近いわね。

そして、そうすることで相手は等身大でなく、自分がみた可能性のある姿にどんどん成長していく。
その結果、長く付き合うことになるし、結婚した後もずっと上手くいくのかな。

まあ、恋愛にしろ、結婚にしろ上手くいっている人って、やはり可能性をみてるんでしょうね。
意識して、そうみてるわけじゃないと思いますが、できる人は自然とできてるのかな。
先の可能性をみた発言をしてなくても、単純に「長く付き合ってるけど、相手のことがいまだわからない。毎回、発見があって面白い!」という意識がある人とかは、上手くいってそう。
要は、「この人はこんなものだ」と決めてつけていないというのがポイントかしら。

結論としては、「相手の見た目や中身がどうであろうとも、可能性をみることでアナタ自身の手で相手を成長させることで、2人の未来を幸せなものにできる」といえるわね。

あれ?となると、けっきょく相手は誰でもいいのかな。生理的に無理じゃなきゃ(笑)

おわり

見た目と中身論争は、「相手」がどうのこうのという話になりがち。

しかし、相手がどうのこうのでなく、「自分がどうするか」ということの方がすごく大事だったりする。
相手がどんな人かを見抜くスキルをきたえるのは難しいですけど、相手に対し可能性をみて接するということは誰にでもできる。見抜くよりは、意識して頑張ればできそう。

なので恋愛や結婚では、どういう判断で相手を選ぼうが、どう自分が振る舞うかに未来がかかっている。
お互いがお互いを可能性でみれるカップルだったら最強ですね。

それと、この「等身大」というのは、「役割」ともいえるのわね。
昔、「スタンフォード監獄実験」の看守と受刑者という恐ろしい心理実験があった。普通だった人が役割を与えられると、その役割を振る舞おうとするという話。
人は「この人はこういう人だ」と決めるけど、それって「この人はこういう役割をもっている」と決めつけてるともいえる。決めつけることの怖さが、この話からもいえますよね。
恋愛にしろ、結婚にしろ、人はどこか相手を役割ではめこんでいる人もいますから。ただ役割をおこなうだけの人として。結婚で相手の女性をただの「家政婦」や「母親」という役割をあたえたり。それは、ちょっと悲しい。

ちなみに、今回の話は恋愛といった話だけで終わらないわ。

ビジネスでの部下との関係でもそうだし、子供の教育という面、そして人と人のコミュニケーションという面でもいえることでしょうね。
人を見る時に私たちは、「等身大」でみてしまう。「この人は、こういう人なんだ」で終わってしまう。その人の「可能性」をみて接しない。
等身大では、ちょっとダメな人だな~とは思いつつ、可能性をみて接する。それだけで、その人は可能性を発揮する。

もちろん、自分自身にもいえるわね。
自分はこの程度の人間なんだ」と、そのままの等身大で決めつけると悪くなる一方。
それに対し、可能性で自分をみることができれば、気持ちが楽になるし、成長することができるでしょう。
たしかに等身大の自分なのだけども、人は変化することができるのだから。逆にほんの少しも変化しない人などいないのだから。

あと注意点として、可能性をみるといっても、「オマエは絶対できる!」とか「完璧にできる!」といって、あきらかに能力的にできないことを、無理やり人に押し付けることとは違いますからね。
また、結婚で「この人は出世コースをたどり金持ちになる!」とか、「公務員で今後の生活が安定している!」といったことじゃないですよ(笑)

ちなみに、ゲーテの言葉がのっていた本は、『アイデアマンのつくり方』という本です。
ビジネスで、アイデアをもった素晴らしい部下の育て方という本。
こちらの著者のジャック・フォスターの本はとても面白いわ。『アイデアのヒント』というアイデア発想本が有名な人なのだけど、私の生涯のフェイバリットの一人。
わかりやすく、ユーモアがあり、哲学を感じさせ、ただのテクニック本じゃないのが気にいっている。

興味のある方は、ぜひオススメ。
恋愛術にも役に立つかも(微笑)

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