本質感

世の中の出来事や日常をモチーフに、「セカイの本質」を考えみつける思考ブログ。物語とユーモアをまじえ、「あらたな視点」をあなたに

夫婦の愛情がなくなったなら、愛すればいいじゃない(書籍『7つの習慣』)

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あるカップルのお話。
季節外れの海岸に2人はいた。そして女性はいう。
私たち別れましょう。うん、それがいいわ。私はあなたのことが好きで、あなたは私のことが好き。でも、別れるのが運命だと思うの
それを聞いた男性は、穏やかにうなづいた。
海はただ、静かな波音をたてていた。

視点蝶の前にハートが現れた。どうする?

こんにちは、視点蝶です。

さっき1円玉を1枚、床に落としてしまったのだけど見つからない。
こっちかな、いやこっちかなと思って探しても、見つからない。
驚くほど見つからないわ。

よく見るとスキマはいくらでもあるので、どこへでも入っていける。
なんとも、厄介ね。

でも、たかが1円。
そういうことをいうと「1円を笑うものは、1円で泣く」ということわざ?を思い出す。
1円で泣くケースって、どんなケースがあるのかしら。欲しい買い物があって、1円足りないという時?最近はネットでお買い物が多いから、そういうことも無いし…そういえば現金をなくした国もあったような…もう時代は1円に意味なんてないのかも。

まあ、たかが1円。どうでもいいことよね(微笑)

そんなわけで、今回は「愛する」ことについて。

愛情のなくなった男

最近、書籍『完訳 7つの習慣 人格主義の回復』を読んでいるわ。

ビジネスの自己啓発本のベストセラーで、知る人ぞ知る本。
以前から気にはなっていたけど読むことはなく、最近になって何となく読みたい気分になって読み始めました。
普通の自己啓発本のように目標がどうとか、習慣がどうとかといった内容なのかなと思っていたけど、今まで読んだ本と違った視点で書かれていて、とても面白いわね。
「面白い」という評価は自己啓発本にとってどうなのかわからないけど、私の中では面白いと感じたものは良書。やはり、その人の発見したアイデアを面白いと感じるのかな?また、本質をついていると感じるからかしら。

そんな中で、オー!と思ったエピソードの1つがある。

著者があるセミナーをした時に、夫婦関係で悩んでいる男性がアドバイスを求めにきた。
彼は、お互いの夫婦の関係は終わっていて、愛情なんてなくなった。自分の状況では、どうしたって著者のいう主体的に物事を考えるということはできない。といったようなことを言った。

私もその彼の話を聞いて、まあ愛情なくなったら終わりよね。
子供が成長したら離婚かな~とベタなことを思っていたわ。

で、著者はいう。

「奥さんを愛してください」

『完訳 7つの習慣 人格主義の回復』スティーブン・R・コヴィー(P.94)より引用

で、男性は反論する。大げさに言うとこんな感じ。
だから、愛がないっていってんですよ!無理、無理、無理!

で、著者はいう。

「いいですか、愛(Love)は動詞なのです。愛という気持ちは、愛するという行動から得られる果実です。ですから奥さんを愛する。奥さんに奉仕する。犠牲を払う。奥さんの話を聴いて、共感し、理解する。感謝の気持ちを表す。奥さんを認める。そうしてみてはいかがです?」

『完訳 7つの習慣 人格主義の回復』スティーブン・R・コヴィー(P.94)より引用

ここで、オー!と感動する(笑)
その後の文で、さらに意図について詳しく説明しているが、とても納得できる内容だったわ。

愛情は名詞というイメージ

確かに愛というと、「動詞」というより「名詞」というイメージ。
する」というより「ある」という感覚。

人は、相手に対して「愛している」という気持ちがあれば、「愛する」だと思っている。
そして、愛する気持ちは自ら生み出すものでなく、どこか知らない場所から自然と生まれて、ボンヤリとどこかにあるモノというイメージを人は持っている。

一目惚れでキュン!となって、ボヨンと愛情できました!
その愛情ハートマークが頭上に浮かんでいて、恋人として付き合っているうちに燃え上がりボンボンと大きくなっていく。で、そのハートマークをみて、愛はずっと永遠と感じたり。
でも、夫婦になったら、なぜかショボーンと少しずつ縮む。で、人によっては縮んだけど、あるにはあるのでそのまま夫婦生活を続ける。
または、人によっては何か知らないうちにじょじょに透明になっていって、いつの間にか消えたと感じ、もう無くなったので夫婦生活が終了する。
人が愛に対するイメージは、大抵こんな感じじゃないかしら。

しかし、このようなイメージだと、愛情のハートマークが縮んだ時や、消えた時に人は何もできなくなる。
愛する気持ちが自分が生み出している、動かしているのではなく自然とあるものと思い込んでいるから。2人の「運命」としての結果だから。時には、少女漫画の愛の格闘によるドラマチックな結果だから(笑)

そして、消えたらアッサリ終わりと決めつけ離婚(恋愛ならお別れ)するし、わかりやすく感じとれる「次の愛」を、新しいパートナーを探すことになる。どうしようもない結果に。

別なものに例えると、お米はスーパーにいつも「ある」もので、自分で「作る」ものではない。
だから、いつの間にかスーパーにお米が無くなったらどうしようもないわ。何もできない。せいぜい、「まだどこかにあるかも」とスーパーをグルグルまわって、しつこく探すだけね。自らお米を作ろうという発想はないと。

愛は動詞で行い動かす

著者のいう、「愛する」という行動をすることで愛情が生まれるという考え方。
そうすると、ハートマークが縮んだり、消えてなくなったと思っても対処できるというわけ。ずっとハッピー。そのために行動すればよいだけだから。

それに対して、「イヤイヤ、私は愛する行動をしてますよ!」というかもしれない。
「私は何もしてないわけじゃない、頑張ってますよ。努力してますよ」と。
しかし、人は「愛する行動」をどこか勘違いしているわ。

何か特別な大きな行動をすることが「愛する」だと思っているフシがある。
プレゼントするとか、休みにデートするとか、一緒に旅行いくとか、家族のために仕事するとか、夜の関係をもち続けるとか、そういったことを「愛する」だと思っている。
それが、そうじゃないとは言わないけれど、それだけをやってればいいわけじゃないわね。

「愛する」とは、ごく当たり前の日常の小さい行動、その積み重ね
著者のいうとおり、話を聴くとか、共感するとか、理解するとか、感謝の気持ちを表すとか。

他には、挨拶するとか、家事を手伝うとか、一緒にスーパーの買い物を付き合うとか、褒めるとか、手をつなぐとか、笑顔でいるとか、約束を守るとか、悩みを相談するとか、相手の変化に気づいてあげるとか、好きな料理つくってあげるとか、相手の好きそうなお菓子買って帰るとか、つらそうな時に心配するとか、悪かったら謝るとか、そういったことなのかな。
別に特別なことじゃなく、相手のためを思ってのちょっとした当たり前の行動。

夫婦関係がテーマのある番組で、出演者の人が「奥さんが見たいテレビ番組があって、俺はそれに興味なかったけど付き合って一緒にみたよ。黙ってそういうことしてれば夫婦関係なんて上手くいくんだよ」みたいなことを言っていたけど、それも「愛する」という行動といえるわね。

あげるといろんな愛するという行動はありそう。
しかし、その中ではやっぱり「会話」がすごく大事でしょうね。
基本中の基本といえるのかな。

愛することは面倒くさい

そのように考えると、意外と人は「愛する」ができていないと思う。

会話にしても、奥さんの同じような話題はつまらなくて、あんまり聞きたくないので夫が避けることはよくありそうだし。一切聞かない、聞いてもさっさと切り上げようとする、また聞いても共感をしめさない、理解しようとしない。そんなことは、よくありそう。

感謝をのべることも、あまりしなそう。
特に日本人は恥ずかしがり屋さんなので、そうなのかな。奥さんが料理をつくってくれても「今日も美味しかった。ありがとう」とか「毎日作ってくれて、ありがとう」なんて言わない。さらに「ああ、君がいるだけで毎日が幸せだ。ありがとう」なんて言わないでしょうね(笑)

昔のお父さんだと、一緒にデパートに買い物いっても付き合うのが面倒くさいって感じだった。一緒にいっても、お父さんだけが待合ソファに座っているとか。先の一緒に奥さんとテレビをみる人の話のケースでも、大抵は面倒くさいと思って「一緒に見ない」または「自分の好きなチャンネルに変える(こっちは最悪)」といった感じでしょうね。

こうして見ると愛することは、けっこうな「努力」があっての行動だ。
やるには、すごいエネルギーが必要。

自己中心に考えて行動するのでなく、相手を思って行動するということは楽じゃないわ。面倒くさい。すっごい面倒くさいし、とても面倒くさいし、超面倒くさい。
特に現代人は特性として、自己中心的な人が増えているので、やるのは凄い難しく感じる人が多いでしょうね。
(最近は、国ですら面倒くさいといっている時代ですし。自国ファーストとか)

しかし、面倒くさいと思って自己中心的に過ごしてる人には愛はないし、愛を手にいれても次第に消えていく。努力した人だけが「愛する」ことができるし、愛を手にすることができる、つまり幸せになれるということ。

付き合い初めに、すごい愛を感じるのは、単純に「愛する」という行動をしているからね。
誰もがみんなできていた。みんなできないわけじゃない、ただやらないだけ。もう愛を手に入れた、もう何もしなくてもココに「ある」と思ってやらなくなるだけ。

世の中は努力した人だけが幸せになる。なんて、当たり前なことなのかしら。

おわり

夫婦(または恋人)の愛がなくなったと思っている人は、相手のために頑張って「愛する行動」、努力してみてはどうかしら。待ってても愛は復活しない。自らが行動しないと愛は無いままです。

また、愛する行動も大事ですけど、「相手の愛を感じる、理解する」ことも大事なんでしょうね。
今まで当たり前のように相手が自分のためにしてくれた行動が、実は愛する行動だったりする。それに気づかず、それは愛じゃないと考えていたりますから。

ある心理カウンセラーが、奥さんが毎日料理を作ってくれてることを「生活のために当たり前のことだ」と思っていたけど、ケンカをキッカケに「それは私のための行動で、愛情表現の一つだったんだ」と気づいたって話が印象に残ってます。そういう立場の人でも、そのような理解ですし。

もちろん、この「愛する行動」というのは夫婦や恋人だけではないわね。
子供や家族とか、友人、会社の同僚、近所の人、他人など人間関係全般にいえるわ。
そういった人達との「愛」も、愛するという行動があって、良い人間関係が築ける。相手を想った努力をすることで関係を築ける。全ては愛だったと(笑)

しかし、『7つの習慣』は面白い。
「依存」のお話も面白いし。また、発見があったら紹介したいです。

それでは、全ての人に愛をこめて。
最後まで読んでくださってありがとうございます。

完訳 7つの習慣 人格主義の回復

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出典:スティーブン・R・コヴィー著『完訳 7つの習慣 人格主義の回復』(キングベアー出版、2014年)