ある登山家のお話。
彼は世界最高峰の登頂に挑戦している。とても長い厳しい戦いだ。
そんな中、彼は中腹のキャンプ地で現地の女性と出会う。
この場には女性は彼女1人しかいない。
天候が悪化し、キャンプ地に長く留まることとなった。そうしている間に、彼は彼女が好きになり、彼女も彼のことが好きになった。そして2人は結婚の約束をした。
無事に登頂に成功し、彼はふもとの町に降り、そこで久しぶりに彼女以外の女性をみた。
「えっ、なんでこんなに美人がたくさんいるの」
そして彼は彼女との婚約を破棄した。
男性って身勝手なものですよね。
こんにちは、視点蝶です。
みなさんポケモンはやっていますか。
わたしもポケモンやっているわ。
攻略本みない派なので、わからないとこがアレコレ。
やはりコレって、友達とアレコレ教わりあいながら進めるものなんでしょうね。
ちなみにやってるのは「ポケモンGO」じゃなく「ポケモン パール」だけど。
そんなわけで、今回は「錯覚」のお話。
その光景は何にみえるのか
最近のニュースでは、毎日のようにポケモンGOの話題ばっかり。
そして、いろいろ問題が起きてるし、いろいろ批判されている。
「たかがゲームでみっともない!」とかコメンテーターが発言したり、その発言に批判したりと。
でも、そんなふうにこのゲームを否定するのは簡単なので、違う視点で考えてみるわ。
テレビではいろんな場所で、スマホを片手にたくさんの人が集まっている。
群衆が密集している。観光名所、施設、公園などなど。
普段は人はあまり見かけないところでも、人が集まる。
それらを何も考えずに目を細め、ボーとみる。
すると、ある光景が見えてくる。
震災後の風景。
もし東京に大震災が起きたらならどうなのだろうと想像する。
マンションや家が崩壊するほどの大震災が起きたらと。
最近は首都圏直下型地震が、30年以内に70%ともいわれてるし。
震災の時にスマホはなくてならないものなっている。
情報を集める、連絡を取る、助けを求める、緊急地震速報、ライトがわり、音を鳴らせる、位置情報がわかる、記録をとれるなど、いろんな震災時に役立つ機能がたくさんあり、スマホがあるのとないでは全然違う。
そして彼らは、スマホを片手に街をさまよう。
情報を集めようとさまようし、家族の安否を求めてさまよったり、避難場所を求めてさまようし、食料を求めてさまよったりする。それぞれが何かを求めてさまよう。
熱中、また真剣の度合いは、ゲーム以上のものとなるでしょうね。
突然のことに対応する力
そう考えると、ポケモンGO程度で混乱するのはどうなのかしら。
歩きスマホのさまよう人の数は、今の人数の比較にならないわ。
揉め事はさらに半端無いものとなる。
逆にこの程度のことぐらいなら対応できる力がないと、震災に対する対応力も弱いんじゃないかしら。
特に行政や公的機関など。
そういうことは予定通りに起こるのでなく、急にやってくるのだから。
いろんな状況に対応できる力がないといけない。
今回のことは、そういう対応力が求められることなのかもしれないわね。
まあ、「ちょっと長い防災訓練」と考えればどうかしら。
そういうふうに考えると、今回のことはまた意味のあることと考えられるわ。
まとめ
その光景をどのように視るかによって、見え方は違ってくる。状況を変えた見方。
ただの「ゲームではしゃいでいるバカな人達」とみるか、「必死に生きようとしている人達」としてみるか。
まあ若者があまり参加しない「防災訓練」も、ポケモンGOをからませると参加しやすくなるんじゃないかしら。
避難場所でポケモンやら、アイテムをゲットできるよ!というイベントがあり、自分の家からの避難場所を覚えさせるとかね。
しかし「ムウマ」をレベル59まであげたけど、「ムウマージ」に進化しないわ…
このままレベルあげて本当に進化するのかしら?