ある若いカップルの話。
暗闇のなか、彼らは窮地に立たさせていた。
何かに追いかけられて、今この部屋に隠れている。
彼女は怯えきり、「もう…イヤ…」とつぶやき、頭を抱える。
そんな彼女の肩をガシッとつかみ、彼はいう。
「大丈夫。俺の命にかえてもオマエを守る!」
その時、彼らのすぐ目の前に化物があらわれた。
巨大で、オドロオドロしく、理解できない形をした化物。
そして彼は彼女を置いて、一目散に逃げる。
ですよね。
こんにちは、視点蝶です。
少し前に一部で「デートで男性は奢るべき!」という話題から、男性はデートで「奢る」べきか「割り勘」にすべきかで論争が盛り上がっていたようね。
どうもそういう話って、定期的によく起こるみたい。
わたしもあまり深くは考えたことがなかったわ。
たしかに男性が「奢る」のは正しそうだし、「割り勘」にするのも正しそう。
こういう正しそうな意見が対立する時って、対立が盛り上がるわよね。
ワッショイって、とことん盛り上がる。
でも、どっちも正しそうな意見の対立が起こる時は、何か本質的な視点が抜けてたりすることがよくあるわ。
大事な大事な何か。
そこで今回は、その本質は何か探してみたいと思う。
そういうわけで、今回は「価値観」のお話。
奢りとは?
まず、根本的なことから考えるわね。
「奢る」とは何か?
単純にいうと「他人に対して、自分のお金で払ってあげる行為」といえる。
自分が稼いだお金を、他人のためにお金を使う。
通常だと他人に対してお金を使うことはないわ。
自分で稼いだお金は、自分のために使う。
自分の生活や自分の趣味、楽しみ、食事、将来の貯蓄などに使う。
通常の状態の人に「なぜ他人に対して、お金を払ってあげないのか?」と聞かれれば、もちろんこう答えるわね。
「他人に使ったら、自分が生きていけないし、死んじゃうよ!」
「他人に使うと、自分のために使うお金が減るし…」
「そんなに人にやるほど、多くのお金を持っていないし…」
「これは自分で稼いだんだ!俺のもの。なんで他人のために使わないといけない!」
「自分のことは自分のこと。他人は他人でしょ!」
「他人は限りなくたくさんいて、他人のことを考えたらキリがないし…」
「他人に払ってあげたら、その人をダメにしてしまう!」
これらは、人のためにお金を使うには重い理由。そしていろいろな面倒事を含んでいる。
なので他人のために使うのは、よっぽどの時ね。
たいていは、年1回にある誕生日プレゼントぐらいにしか使わない。
問題が少ないので、そのぐらいは使ってもいいかなと思う。
そう考えると「奢る」というのは特殊な行為ね。
限りあるお金を自分のためでなく、他人のために使う。
そのお金があれば自分のために、もっと自分がいい思いができるかもしれないのに、他人のために使う。最悪、そのお金がなければ自分は死ぬかもしれない。
なので、奢るとは「自分の欲、自分の命を捨て、他人のためにお金を使う行為」といえるわ。
だから奢る人は「尊敬」されたりするのでしょうね。
奢るとは、そういう覚悟の行為。
親の奢り
ほとんどの人は「奢られる」という行為を体験するわ。
それが「親の奢り」。
親が子を育てるのに、親は無条件で子供のためにお金を使う。
それは言い換えると「奢り」といってもいいわね。
毎日の食事を奢り、生活用品を奢り、娯楽を奢り、外食を奢りと。
誰でも体験したことあるわよね?
ここでのポイントは、家庭によって子供に対してお金の考え方、使い方が違うという点。
いいかえると「家庭によって奢り方が違う」。
「あなたは私の大事な子供なの。あなたが欲しいものはいくらでも言いなさい」というタイプの親がいるわ。
食事はなんでも好きなものを太るまで食べさせ、欲しいおもちゃや服など、欲しいものは全部与える。休みの日には、行きたい場所にどこへでも連れて行ってくれる。
最悪、ニートになっても大切に保護してくれる。
こんな甘々な奢りの家庭もある。
また昔ながらの親では、「俺が稼いできた金でオマエらを食わせてやってるんだ!」というタイプの父親もいるわ。
食事では父親だけが一品多くて、お小遣いはお手伝いや学校の成績がよくないとくれない。
問題を起こすとお小遣いは減額だ。
父親は自分の楽しみのゴルフ三昧で、遊びで外出することは少ない。
何か必要なものを買う時には、きちんと父親に頭を下げお願いをしないといけない。
そういう厳しい奢りの家庭もある。
両極端なケースをあげたけど、こんな風に家によって子供に対するお金の考え方が違う。
「お小遣い」とか「自分が欲しいもの」に対してが顕著に傾向があらわれるのかな。
わたしの知っている家では、子供に1年分のお小遣いをわたし、それを自分で管理して使いなさいという家もあったわね。ほんと家それぞれ。
そして子供は「親が自分に対してどのように奢るかを観て、奢り方を覚える」。
いいかえると「子供は親のお金の価値観によって、お金の価値観を覚える」といえるわ。
子供がお金に対しての考え方をどう覚えるかというと、やはり親のお金の考え方から学ぶ。
親が自分に対してどういう風にお金を使うか、奢るか。
それを観て、覚える。
どういう時にどうお金を使うのか、使わないのか。
親が親自身に対してどうお金を使い、親以外の人間に対してどうお金を使うのか。
そして大きくなり、自分もそのようにするわ。
場合によっては「反面教師」として学ぶこともあるけど、たいていは親のやり方を真似る。
親の奢り方、つまり親のお金の価値観が、わたしたちの元となる。
人に奢る
となると、男性がデートで「奢る」か「割り勘」にするかは、お金の価値観で決まるわ。
育ってきた環境によるお金の価値観で。
先の例の「俺が稼いできた金でオマエらを食わせてやってるんだ!」という厳しいタイプの親から育った子供なら、「お金とは、力だ!」という価値観を身につける。
そして力で相手をねじふせるために、または力を見せつけるために「奢る」を選択する。
甘々なタイプな親から育った子供なら「お金とは、僕を愛している人が出すものだ!」という価値観を身につける。
奢るなんて考えたこともないし、むしろ僕を愛しているなら出して欲しいと思うぐらいだろう。
そして「割り勘」を選択する。
そのように身につけた価値観で選択をするわ。
もちろん厳しいタイプの親から育ったといって、必ず「お金とは力だ!」という価値観が身につくわけでもないけど。「お金とは、人に簡単に渡すものではない!」という価値観を身につけ、逆に「割り勘」を選択する場合もある。
家の状況によって、身につく価値観はそれぞれバリエーションがあるでしょうね。
このへんは統計調査をとれば、パターンが出るかもしれないわ。
このようにデートで「奢る」か「割り勘」かは、育ったお金の価値観によって決まる。
価値観によって決まるのだから、どっちが正しいとか正しくないとかはない。
男性は、価値観で選んでいるだけなので、女性は自分にあう価値観の相手を選ぶだけの話となるわね。
お金の価値観は変わらない
たぶん、奢ってほしい女性が納得いかない点は、「奢る」か「割り勘」という選択が、男性が簡単に変えられると思っているから。
でも困ったことに、「お金の価値観は一生変わらない」。
そんな馬鹿な!と思うかもしれないが一生変わらない。
子供が親から覚えたお金の価値観というのは、一生そのまま。変わることはない。
「性格」や「他のことの価値観」は体験によって変わるかもしれないけど、お金の価値観だけは変わらない。
お金の価値観というのは、それほど根深いものなのよね。
考えてもみれば生まれてずっとその環境、親のお金の価値観で育ってきたのだから。
それが「この世界の当たり前」だと信じて疑わず、育って生きてきたのだから。
ほんのちょっとしたことで変わるような、やわなものじゃないわ。
また奢りとは「欲と命をかけたもの」。欲と命なんで人が生きる上で大事なこと。
そんな人にとって重い価値観が、簡単に変わるわけがないわね。
「育った環境によって、その人の年収が決まる」という話もそう。
貧しく育った家では大人になっても収入が少なく、お金持ちに育った家では大人になっても収入が多い。
それは、お金の価値観は変わらないことを物語っているわ。
塾にお金をかけれないといった学力格差などの話も関係するけど、それでも大人になってもそのお金の価値観が変わらず、親と同じようなお金の考え方で生きてしまう結果ね。
それが当たり前だと思っているのだから。
「環境が大きく変われば、お金の価値観も変わる」と考えている人もいるわ。
例えば、貧乏だった家で育ち、たまたま運良く大金持ちになったという人がいる。
全然欲しいものが買えなかったので、買いたいものをどんどん買ったりするし。
昔は人に奢ったことなんてなかったけど、いい気になって奢りまくったりもする。
一見、お金の価値観が変わったように見える。
でも、本当のところは「お金の価値観」は何も変わっていない。
価値観とは、どれだけお金を使うかとか、何に使うかとかではないわ。
お金そのものに対してどう捉えているか。その人にとって「お金とは何か?」。
貧乏に育つと、よくあるパターンとして「お金とは、ないと苦しいもの、惨めな状況においやられるもの」という価値観をみにつけ、それを基準に生きるようになるわ。
すると、どうなるかしら。
お金持ちになって、お金がたくさんある。
ならば思うのは、お金を使って今までの苦しさを解消しようとする。
そしてどんどんお金を使う。使えば使うほどその苦しさから解消されると思っている。
お金は、「苦しさを解消するための道具」。
しかし悲しいことに、使っても使ってもその苦しさは解消されない。
その価値観は消えないし、変わらないから。
その価値観が根深くその人に根付いているし、その考え方がその人そのものだから。
同じように、貧乏からお金持ちと結婚した芸能人がいたわね。
一見、昔貧乏とは思いえないような、上品な感じでセレブのようだったわ。
でも彼女は言っていた。「お金がなくなることが一番怖い」と。
価値観は何も変わっていなかった。
そういえば、どっかの都知事が「セコい」といわれて失職したけど、それもそうかしら。
彼も子供の頃にお金に苦労したといわれているし。
彼に染み付いたお金の価値観が、自分の身を滅ぼした。
いえ、違うわね。お金の価値観は変わらないので、他の価値観がよい方向に変わらなかったから、身を滅ぼしたといえるかしら。
都知事としての、「仕事の価値観」がダメダメだったのね。
なかには貧乏また中流家庭から、企業したり、キャリアアップを強くめざす人がいる。
その人達も、大人になってお金の価値観が変わったわけじゃないわ。
育った環境から「お金とは、人の幸せの全てだ!」「お金とは、ないと負け犬の人生を歩むことになる!」という価値観ができ、強くそういう道を歩んでいるだけかもしれない。
また始めの、苦しさを解消するために強くキャリアを望む場合もあるわね。
お金の価値観が変わらないというより「変わる機会がない」とも言えるのかな。
強制的に矯正器具をつけて、長い年月をかけてそれだけに集中して努力すれば変わるかもしれない。洗脳するぐらいに。
でも普通そんなことしないし。そんな暇はないし。
人生そんなことに時間かけてられないし。
それに人はそこまでお金の価値観を重視していないしね。
またせいぜい変わるとしたら、死ぬ間際ぐらいじゃないかしら。
もうお金なんて意味ないし。自分の欲も命もかけれないし。
そんなわけでお金の価値観とは一生変わらないわ。
「偽りのお金の価値観」でモメる
デートの「奢る」か「割り勘」で、もめる一番の原因は「嘘」じゃないかしら。
話がややこしくなるのは、男性が「嘘」をつく時。
本当は「割り勘」のお金の価値観を持っている男性が、テクニックとして「奢る」という手を使う。そのせいでおかしなことになる。
奢るというのは簡単にできる行為なので、ある意味簡単に「尊敬」をえられる。
女性にいいところを見せたくて、奢るというテクニックを使う。
本当の自分のお金の価値観に、嘘をつく。
偽り、ニセモノの価値観、ニセモノの自分を演じる。
もちろん、それはいつか破綻するわね。
人は嘘をついて生きてはいけないから、いつか本性があらわれる。
それはある程度の金額を使った時なのか、彼女の反応が自分の思ったものと違った時なのか、彼女を自分の物にした時なのか、結婚した時かわからないけどね。
だから始め奢っていたのに急にしぶりだしたり、途中から彼女が奢るような関係になったりしてモメる。
そりゃあ、そうなるわね。本性は違うのだから。
いくらテクニックで奢っても、本来の価値観は違うのだから一生奢ることはないわね。
偽りの価値観を見抜けるかどうかが、キモとなる。
だから「恋愛は騙し合い」なんていわれることもあるのかしらね。
お金の価値観は「結婚」に大きく影響する
お金の価値観は、ただ楽しく過ごしたいという恋人の時はそこまで深く考えなくてもいいかもしれないけど、「結婚」となるととても重要。
結婚後なんて、毎日のようにお金のからむ問題はたくさん出てくるわ。
なのでお金の価値観が合わずに、離婚することもよくあること。
また相手のお金の価値観のせいで、不幸になる人もたくさんいる。
『ホンマでっか!?TV』のたくさんの離婚をみてきた弁護士の堀井亜生氏がいってたけど、「結婚前に、結婚したらお金をどう扱うか、お互いの話合いが絶対必要!」みたいな話をしてたわ。
生活費を全部奥さんに渡すのか、2人とも働いている場合お金をどう出すのかなどなど。
お金の話をナアナアにして、結婚するとよくモメるよう。
確かにそうね。「相手の本性」を確認せずに結婚するのと同じだもの。怖い怖い。
相手のお金の価値観を探るには「実家を探る」のも一つの手といってたかな。
たしかに親のお金の価値観から育ったわけですしね。
結婚する時は、特にチェックしてくださいね。
まとめ
簡単にまとめると。
デートで「奢る」か「割り勘」かは、その人の育った環境によるお金の価値観によって決まる。
ただの価値観なので、どっちが正しいとか正しくないといった問題ではない。
男性はただ価値観にそって選んでるだけで、女性はその価値観にあう人と付き合えばいい。
注意点として。
お金の価値観は一生変わらないので、相手を変えようとしても無駄!
相手の「偽りのお金の価値観」に気をつけて!
「結婚」する時は、特にお金の価値観に気をつけて!絶対確認しよう!
こんな感じね。
好奇心で「奢る」と「割り勘」について考察したけど、考えてみればけっこう人にとって深い話だったわ。
何に本質が潜んでいるかわからないものね。
奢るというのは「自分の欲と自分の命をかける行為」という難しい行為。
でもやろうと思えば誰にも、どんな人にでも簡単にできる。
難しいのに簡単。おかしいわね。
そこに不可思議なものがあり、不可思議なことが起こるわ。
しかし「愛」と「お金」はいつも波乱を呼ぶわね。
だから面白いのかしら?
(おまけ)お金に対する無知
お金の価値観で怖いものの1つに「無知」があるわ。
簡単にいうと、お金に対してたいして考えがない。考えたこともない。
または短絡的に考えている。
そういう人が怖いと思うの。
もちろんそれも育った環境によって身についてしまった価値観ね。
例えば貧乏だと「お金をどう使うか?」という考える学びの機会を失うわね。
多少お金があれば、どういう時にどれだけ使うかというお金の管理や、お金に余裕があるから人のために何か使おうかなとか考え、体験し、学んでいく。
しかし貧乏だと、考えるためのお金がそもそもないのだから考えない。
つまりお金に対して「無知」になる。
そして大人になっても「無知」のままだったりするわ。
無知のまま、無知でお金を使う。
またすごく短絡的な考え方になり、短絡的なことに飛びついたりしたり。
たまに貧乏から金持ちになった人が「馬鹿みたいにみえる」のはそういうこと。
もちろん中流家庭でもそういうことはあるわ。
親がお金に対して、何も考えていなかったりすると、もちろん子供にも受け継がれる。
お金に対するルールもなかったり、気分によってルールが変わったり。
そういうことでも無知になるわね。
さらにお金持ちでもそういうことはあるかも。
馬鹿みたいにお金を使える環境にいて、「お金とは、水だ!」というお金の価値観に育った子。
水のように、そこらじゅうに当たり前にお金があると思っている。それも無知。
また無知になると「お金に興味がない」という人も出てくることも。
それはそれで不味いわね。
人が生きるにはどうしてもお金と向き合わないといけないから。
世の中は、お金によって感情や行動が動いているのだから。
本人はいいかもしれないが、結婚などしたら周りが苦労するでしょうね。
そういう人も困る。
親御さんはそういうことも考えて、子供に向き合って下さいね。
食育とかけて、金育(きんいく)?ゴロが悪いわ。