本質感

世の中の出来事や日常をモチーフに、「セカイの本質」を考えみつける思考ブログ。物語とユーモアをまじえ、「あらたな視点」をあなたに

全ての人間は、生きているだけで人の役に立っている

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ある男女のお話。
彼が家を出る時は、彼女は「いってらっしゃい」といったと思う。
彼が帰ってくると、彼女は「おかえり」といったと思う。
ある日、彼女と話をしてる時に「あなたといると幸せ」といったと思う。
その彼女は、もういない。

いろんな光をうけ輝く視点蝶

こんにちは、視点蝶です。

視界について、こんな話を聞いたことがあるわ。
人が見ているのは、視線の中心から円を描いたような一部分だけ。
それ以外の周りは見ていなくて、脳が勝手に景色を補正してる、作っているという話。
見てるのは一部分で、まわりはボンヤリ。
なんとも不思議な話よね~

そう考えると、私たちがすごす毎日もそうなのかしら。
毎日しっかりと見て生きてるわけじゃない。けっこう淡々と、どこかボンヤリと生きてる。
そんな時に、脳が補正してくれてるのかしらね(微笑)

そんなわけで、今回も前回に続き「役に立つ人間」について。

私は人の役に立っているのだろうか?

人は時に、「自分はこの世に役に立っている人間なのか?」と疑問に思うわ。

有名人やスゴイ専門家のように、人に大きく影響を与えているわけでもない。
自分より役に立ってそうな人が、周りにはいくらでもいる。
仕事を休んでも、自分の変わりがいて、特に自分でなければいけないわけでもない。

そんな時に、「自分は、本当に人の役に立っているのだろうか?」と疑問に思ったりする。
または、「自分は何も役に立っていない…」と断定してしまう人もいたりするわね。

しかし、人はどんな人であれ、生きているだけで人の役に立っている。

情報を与えることで役立っている

少しもっている情報

人は誰でも「情報」をもっているわ。
そして、その情報を人に教えることができる。
情報を人に教えることで、人の役に立っている。

しかし、人はこう思うのでしょうね。
「私の情報がそんなに役に立つのか?こんな情報は多くの人が知っているし、専門家なら私なんて到底かなわない情報を持っている。比べ物にならない。そんな情報を聞いても役に立たない」と。

でも、私たちは「すごい・とても重要な情報」を常に求めているわけじゃない。

例えば、幸福な人生を歩むための、または自分に大きな影響のあるスゴイ情報があったとするわ。
しかし、そんな重い情報を、毎日のように聞きたいと思わないし、聞いてたら疲れる。
逆の情報でいえば、知ってはいけない世界の暗くとても重い情報があったとする。
そんな情報なら、感情を強くゆさぶられ、暗くなったりで、さらに聞きたくないわね。

なので、日常では「何気ないどうでもいい情報」を人は求めている。

そして、スゴイ情報でなく「人より少し知っている情報」ぐらいがちょうどいいし、心地いい。
「今日は夕方から雨ふるかも」「新商品のお菓子が出てたよ」「そこへ行きたいなら、この通りを…」「休みの日に、◯◯行ってきたんだ!」「あそこの奥さんが…」ぐらいで。
何気ないどうでもいい情報だから、安心してホッとする。安心した毎日をおくれる。

そのような情報は誰でも持っているし、人に教えることができるわ。
だから、誰でも人に役立つ情報を与えることができる。

考えてみれば、わかりやすい形で人の役に立っているという「仕事」もそうね。
情報を知らない客に対し、少し情報を知っている人が教えることで、ほとんどの仕事が成り立っているといえるし。
スゴイ専門的な知識や技術が必要な仕事もあるけど、少し知識あればできる仕事はけっこう多い。商品やサービスを販売している人なんて、それについての情報を客より少し知っている程度だし。
実際は、そこまで深く情報を知らなくても、仕事ができたりするわ。
入社一ヶ月の人でも、普通に働いていたりするしね。

そのような人達の多くが仕事をしていて、人の役に立っている。
そう考えると、スゴイ情報がなくても、人に役に立つのは、あまり難しくないと考えることができるわね。

また、人によっては人生の中で多くの時間を費やしたものがあるわ。
「趣味」とか「好きなこと」とか。多くの時間をかけたということは、それについて知らない人は多い。
そして、それを知りたいと思った人、特に初心者に対しては、とても役立つ情報ですし。

自分という情報

そして、情報は「知識」だけじゃないわね。
自分」という情報を与えることができるわ。
そして、それが人の役に立っている。

人は、自分のことを他人に語る。
自分がどういう日常を送っていて、普段はどういうことを感じているのか、考えているのか、どういうことを体験しているのかなど。
自分を語ることで、人に情報を与えているわ。

そして、それは相手が「自分自身を知る」ことに役立っている。
こういう考え方をするんだ。こういうことする人もいるんだ。人って、こんなこともできるんだ。
その人との違いから、自分がどんな人間かを知ることができる、みつめることができる。
自分のことはわかっているようで、他人と比較しないと見えないこともあるしね。
また、「私とは違うんだ。違うから私なんだ」と、自分という存在を認識できるし。

さらに、相手の「成長」にも役立っている。
話を聞き、この人のこういう部分は良いから、そうなりたい!
この人のこういう部分が嫌いだから、こうはならないようにしよう!
この人の体験の失敗から、そういうことには注意しよう!
そんな風に、相手の話を聞いて人は考える。どう生きるかを。
人の話を聞かないで成長した人は、どこにもいないわ。

そして、根本的なこととして、相手が「新しいセカイをしる」ことにも役立っている。
自分とは違う何かを発見する。自分の知ってるセカイは終わり、新しいセカイがみえる。その繰り返しで、セカイは広がり深まり人生は面白くなる。

ちなみに、最近はSNSでみんな発信するけど、それも役立っているといえる。
別にすごい情報でなくてもいい。すごいアクセスのある情報でなくてもいい。
無理に一般化してない「偽りのない自分の話」なら、それはとても役立つ情報といえるわね。

このように、人は自分の知っている情報、自分の情報を、人に与えることで役に立っている。

相手の話を聞くだけで役に立つ

先の内容は、自分から情報を伝えることで役に立つという話だったけど、逆に「相手の話を聞く」だけでも人は役に立っているわ。

人は自分の話を聞いてくれるだけで嬉しい。
さらに、「共感」してくれると、最高に嬉しい。
なんだかんだ、みんな自分ことを話したいしね。

そして、人は自分のことを話すことで、「ああ…私はここに存在しているんだな」と、自分の存在を確認できる。生きてることを実感できる。
それは、とても大事なことで、とても人の役に立つこと。

それに、女性はおしゃべりで、ストレス発散してるというしね。
まあ、一方的に話聞いてる方は、ストレスたまりますけど(笑)

世の中には、自分の話を聞いてくれる相手がいない人は、けっこうたくさんいる。
それは、とても辛く、苦しいこと。
もし、そんな人と出会った際に、相手の話を聞く。それはどんなに人に役立つ行為かしら。

いるだけで役に立つ

何か行動することで役に立つことを語ったけど、別に行動をしなくていいわ。
人は特別に何もしなくても、そこにいるだけで人の役に立っている。

人は誰かが側にいるだけで嬉しいのに、それがあまりにも当たり前すぎて、それに気づいていない。
悲しいことに、その人が去った時、また亡くなった時に、それに気づいたりする。
一人がこんなに不安で、怖いことを。

例えば、無人島に一人ぼっちだったりする。
10年も、20年も一人ぼっち。想像すると、とても辛いこと。
そんな時に、誰かがやってくる。
普段だったら嫌で敬遠する人でも、それがどんなに嬉しいことかしら。
(ロビンソンならそういうわね。笑)

または、人は「外を歩いている」だけでも役に立っている。
真っ暗な夜道を一人で歩いているのと、数人が歩いている中で歩いているのと、どっちが怖いかしら?
誰かがいるだけで、安心する(まあ、女性1人に対し、男性1人だと怖いけど)。
過疎の村で、誰も外を歩いていないと寂しく不安になるけど、人が歩いていると安心する。
獣だって、外を歩いてる時に一人ならラッキーと思って襲ってくるかもしれないけど、人が複数人いる中では襲ってこない。
もちろん、人生という道もね(微笑)

そのように、人は知らないうちに誰かを守っている。
安心を与えているし、幸せを与えている。特に、安心感を与えているのかしら。
とても気づきにくいけど、役に立っている。すごく役に立っている。

人類の進化に役に立っている

そして、より大きなセカイの視点でみると、どんな人でも人類の進化に役に立っているわ。

幸せのヒント

人はどんな人でも、大なり小なりの「問題」を起こしたりする。
失敗したり、間違ったり、忘れたり、うまくできなかったり。
時には自分の知らないところで問題を起こしたり。誰でも問題を起こす。
しかし、その問題は人々の役に立っているわ。

人は、ダメな人間が社会に悪い影響を与えると思っている。
多くの人ができることができない人、悪いことを起こしてしまう人など。
そして、「彼らはダメで役に立たない、どうしようもないから排除しよう!」と考える。

しかし、逆にいうと、その人が悪いというより、悪い状況をひきおこしてしまう現在の社会システムに欠陥があるといえるわね。
つまり、「問題」があるということ。

問題があるなら、解決するべきだわ。学生が問題を与えられたら、解決するみたいに。
すると、どうなるかしら?
もちろん、「全ての人の幸せ」に一歩近づく。

それなのに、人はあまりそれを問題ととらえず、ただ臭いものに蓋をするみたいに、排除することだけを考えるわ。

例えば、仕事ができなくて、まわりが「オマエは役に立たない!」という。
しかし、そういう人でもできる仕事になっていないこと、幸せに仕事ができる環境になっていないことが問題なのに。

そもそも、お客の問題を解決するのが仕事よね。
それなのに、働く人の問題を解決できない会社が、人の幸せになるための商品やサービスを提供できるのかしら?
お客様のクレームはありがたいものです!」と言うくせに、自社の社員の問題に対してはそういわない。変なの。

安易に表面的なことを見て「役に立たない」といって問題をみようとしないのは、全ての人が幸せになる道をドブに捨ててることと同じ。それは結局、自分の幸せだったりするのに。
今はよくても、一歩状況が変われば、自分がそうなるのに。

人は誰でも問題を起こす。
そしてそれは、全ての人が幸せになるための問題を与えているので役立っているわ。
つまり、人類の進化に役立っているといえる。

もちろん、この話は犯罪を起こす人を賞賛するわけじゃない。
それはそれ、これはこれ。犯罪は悪。

個性のぶつかり合い

この世には、どこにも同じ人間はいない。個性がある。
その個性が、人々の役に立っている。

生物多様性」という話を聞いたことがあるわ。
個性のある生物が集まると、多様性があると、いろんな影響を生み出し、その生物が進化していく。
しかし、同じような個体ばかりだと、その生物はそんなに進化することはない。
進化しないということは、いろんな状況変化についていけず、絶滅する。
たしか私の受けたイメージでは、そんな話。

それは、もちろん人にもいえるわ。
同じような人間がいたとしても、人間は成長しない、進化しない。
多様な個性が集まることで、人は進化する。
特に、「人と大きく違う個性の持ち主」が、大きな進化を生み出す。

しかし、社会は同じような人を求めがち。特に日本はそんな傾向が。
また、会社でも同じような人を求めがちね。
同じような能力、同じような性格、同じような考え方、同じような生活習慣など。

でも、それってとても危険なこと。
ある状況化では、それは上手く機能するけど、ひとつ状況が変われば、それは機能しない。
むしろ、物事を悪化させるわ。状況は、セカイは常に変化してるのだから。

ちなみに、アイドルは1人より、グループの方が長くやっていけてるわね。
それってやはり、1人だとやれることに限界があるし、いろんな面白味を生み出しにくいのでしょうね。
しかし、多様性のある人の集まり、それぞれ違う個性の集まりのグループだと、広がりが生まれ、長く面白味を生み出せる。

そのように、個性は多様性を生み、人類の進化のために役立っているわ。
違う人間と違う人間がぶつかり、スパーク!そして、面白いセカイが生み出される。

まとめ

このようなことは、普段あたりまえのように私たちがしていること。
つまり、どんな人でも「生きているだけ」で人の役に立っているわ。

人は、「どこかスゴイことをしないと、自分は役に立っていない」と思ったりするけど、そんなことはない。よく見れば、こんなにも役に立っている。

なぜ、そんなマイナスなことを思う人がいるかというと、やはり「オマエは役に立たない!」と否定する人がいるから。
表面的なこと、狭い一つの状況だけを見て、そういうことを人は安易にいう。
一人ひとり、すごい役に立っているのに、あまりにも当たり前すぎて人は見失っている。
視点がゴリゴリに凝り固まって、全てを無くし一人にならないと気づかないのかしらね。

人が役に立っていることは、もっともっとあげられる。長くなるので、あげないけど。
まあ、それは新たな視点を得た、あなたの手で見つけてほしいわ。

さあ、自分は役に立っているか不安な人は、自信をもって「自分は役に立っている!」と叫んで。そして、人が役に立っている部分、良いところを、たくさんみつけて感謝しよう。
ありがとう!」とね。