本質感

世の中の出来事や日常をモチーフに、「セカイの本質」を考えみつける思考ブログ。物語とユーモアをまじえ、「あらたな視点」をあなたに

戦争を子供に伝えるには「悲しい話」だけしても伝わらない

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ある小さな子供のお話。
大人は僕に良いことを教える。たくさんの良いことを教える。
でも、悪いことは教えてくれない。どうして教えてくれないのだろう?
そうか!悪いことは大人になったら教わるものなんだ。楽しみだな~

編み視点蝶

こんにちは、視点蝶です。

私が小さい頃のある時期、よく図書館にかよっていたわ。
といってもその頃は文字の本をみるのが苦手で、漫画しか興味はなかった。
漫画を読みに通っていたのだけど、なぜかその図書館には『火の鳥』と『はだしのゲン』しかなかった。
仕方ないので、そのシリーズ全巻を何度も何度も読んだ。飽きもせず、何度も何度も。

だから、今このブログでセカイを語っているのかな?(笑)
それは良い影響だったのか、悪い影響だったのか。

そんなわけで、今回は「伝え方」について。

子供の戦争の感想

たまたまテレビでみてたら、戦争アニメ映画をみた感想を小学生ぐらいの子供がのべていた。

戦争はいけないものだとわかった。戦争はしてはいけないと思います

まあ、何の変哲のないよくあるセリフ。
そういう感想になるのでしょうね。

ちなみに、少し前にもテレビで戦争に関する施設にいった中学生も、インタビューでほぼ同じような感想をいっていた気がする。
ほんと、よく聞くセリフ。

しかし、その何の変哲のないセリフが気になったわ。

それが悪いというわけじゃない。ボキャブラリーが少ないとかそんな話じゃない(まあ外人の子供みたくボキャブラリーがほしくなるけど)。
実際にそういう気持ちになったのでしょうし、本当にそう思ったのでしょう。

ただ、私が気になったのは「子供に対してそのような伝え方でいいのかな?」という点。

悲しい話だけでは戦争は伝わらない

戦争を伝えるとなると、大抵は「戦争の悲しい部分」を伝えることとなる。

実際にどんな被害にあったとか、どんなに苦しい思いで毎日を過ごしたとか、戦争にいった家族が無残にも死んでいったとか、そういったマイナス面の悲しい話になるわ。
何も知らない子供には、壮絶な話。
そういう悲しい部分を伝えるのはそれはそれで良いのだけど、それだけじゃあ不味い気がする。

何が不味いかというと、そうなると結局インタビューの話のように「戦争は悲しいものです。やってはいけません」という決まった答えで終わる。そう言われたら、そう返さざるをえないように。

つまり、「安易な答え」がでてしまう。

安易な答えだと、戦争が伝わったとはいえないわね。
一部の情報しか知らず、たいして深く考えず、悩みもせずに出した答えなので、薄っぺらい答えとなる。
小さな子供が学校で「人には優しくするものだ」といわれ、そのように思うのと同じだし。

なので、悲しい話をしただけでは、戦争は伝わったとはいえない。

安易な答えによる問題

そして、安易な答えになるといくつか問題があるわ。

まず、安易な答えを出すと「それ以上考えなくなる」という点。
人は答えの出たものに対しては、もう考えない。
なので、戦争については考えないで、後はほったらかし。
そして、答えを出してから時がたったら「戦争とは、なんとなく悲しいもの」ぐらいにしか思わない。
それは、伝える側として望んでいたことかというと、そうじゃないでしょうね。

次に、安易な答えを出すと「逆に戦争に賛成しやすくなる」という恐ろしい問題があるわ。
「イヤイヤ、戦争は悲しいものだと答えを出したのだから、賛成するわけないでしょ!」と思われるかもしれないけど、人はそんな単純じゃない。
むしろ、簡単に賛成派にまわってしまう。

想像してほしいのだけど、例えば日本がどこかの国から戦争をしかけられそうな厳しい状況になったとする。
そうなると、もちろん戦争の悲しいものだと思っている人は、始めは「戦争は反対だ!」というでしょう。

しかし、そこで政治家のトップが「確かに戦争は悲しいものだ…だけど戦争しないと日本が酷いことになる!あなたの家族が友人といった大切な人が殺されるかもしれない!そしてあなた自身が死ぬかもしれない!それでいいのですか?私も本当はやりたくありません。でも、私たちは自分の身を守るために、戦争は仕方のないことなのです」と言われたらどうでしょう。

大抵の人は、グラリとくるでしょう。
そして、ポツリ、ポツリと賛成派が、数が増えれば「そうだな…仕方のないことだ」とアッサリと考えをくつがえされ戦争賛成派となる。
「戦争は悲しいものだ」と安易に出した答えですから、くつがえされるのも簡単。
そこが安易な答えの一番怖いところ。

子供の頃に「人には優しくするものだ」と教わったのに、簡単にイジメをする側にまわったりする。簡単にいうとそれと同じもの。

このように安易な答えを出すことには問題があるわ。

マイナス面とプラス面の二面を伝える

では、どうすればきちんと戦争のことが伝わるかというと「悲しい部分のマイナス面だけじゃなく、プラスの面についても考えさせる」ということ。

プラス面というと、戦争の賛成派の話。
戦争を推し進めた人たち、またその人たちによって戦争賛成派になってしまった市民、戦争によって甘い目をみた人たち、戦争によって国が得られた利益などについて語る必要がある。
その人達が何を考え、どういう感情を抱き、何をして、どういう結果となったのか。
そして、そもそもなぜ戦争をするはめになったのか、そういったことを。

そうして、マイナス面とプラス面の両側から物事を見ることで、考えが深まっていく。
対立する意見によって葛藤や矛盾がうまれ、安易に答えを出せなくなる。そして、そこから抜けた時に考えというものが生まれる。
そうすることで始めて「戦争について考える」ということになるわ。

そのように両面を伝え、きちんと考えさせることができれば、戦争についてとりあえず伝わったといえるのかな。

さらに細かいことをいうと、二面でなく、さらに多面的に考えることができればさらに良いのだけど。
例えば、自国でなく敵国からの視点でものをみたり、戦争にまったく参加しなかった国の視点でみたり、日本の地域別の視点でみてみたり、戦時中の子供の視点でみたりとか。
戦争は特にいろんなことが複雑に起きているので、単純に二面では語れない部分もありますし。
まあ、子供ですと、まずは二面から入った方がわかりやすいですけど。

戦争を知らない親が子供に伝えるには

今のお父さんやお母さんは戦争を体験してない。その親も体験してなかったりする。
だから、「自分は戦争について子供に何も伝えることができない…」と思っている方も多い。

しかし、戦争を体験してない、あまり情報を知らない親でも、子供にきちんと戦争について伝えることはできるわ。
何もできないわけじゃない。むしろ、いくらでもある。

戦争を知らない親ができるのは、知っている戦争の話を伝えるのも大事だけど、やはり「考えさせること」を子供に伝えるべきでしょうね。

どのように考えたらいいのかの手助けをする。
先にのべたように、最低でもマイナス面とプラス面の二面を伝え、対立する意見で考えさせる。議論をし、考えを深めさせる。
そして、「もし、自分がその状況下だったら?」と想像力を働かせ、どう考えるか、どう行動するかを一緒に考えるのも良いでしょう。
または、もっと身近な話に変えて「友達とのケンカ」「イジメ」といったお題で考えるのも良いですね。

そうすることで、次第に自分だけで考えることができるようになる。自ら問えるようになる。
それができて、親から子へ戦争が伝わったといえるのかも。

おわり

このように子供に戦争を伝える際には、ただ悲しい話を伝えて「安易な答え」を出させるのでなく、自分で戦争について考えれるようにする必要があるわ。

もちろん、体験談を聞いて、感情としてシンプルに悲しいと思ったり、そこから戦争はやってはいけないと思うことは、それはそれで大事。何も伝えないよりマシ。
でも、それで終わったら残念ながら戦争は伝わらない。

それに悲しい話って、戦争に限らず生理的に人はあまり聞きたいと思わないですしね。
それで逆に、戦争から目をそむけやすくなるし。

まあ、戦争の施設や語り部、ドキュメンタリーや映画などは、そのへんを考えられているとは思いますけど。

ちなみに、人によっては「戦争を考えることに何の意味があるのか?」と思う人もいるのでしょうね。

考える理由としては、やはり現在・未来、戦争状況におちいる可能性があるからといえる。
今後絶対に戦争が起こらないなんて、世の中をみればそんなこと言えない。
そんな時に空気に流されずに、深い議論の上での意見をもってないと戦えない。
なければ安易に流され、安易に戦争なんてことになるでしょう。

さらに、もし起きる場合は昔のような単純に侵略するという形でなく、変形した形の戦争となり、だいぶ厄介なものとなる。物事は複雑化して、難しい問題に。
そして、それは突然やってくるのだから、普段から備えておかないとまったく対処できなくなる。

しかし、戦争を考えるとは、戦争について考えるだけじゃないわ。
戦争は私たちと同じ「人間」が起こした出来事。いろんな立場の人間の感情が渦巻き、いろんな出来事がおきた。同じ人間が。
戦争とは結局のところ「人が生きた」ということでもあるし、私たちがどう生きればいいのかの「未来」を語っている。

だから、戦争を考えることはとても大事で、そして考えることに終わりはなく、私たちは「戦争とは何か?」を問い続けなければいけないのでしょうね。