本質感

世の中の出来事や日常をモチーフに、「セカイの本質」を考えみつける思考ブログ。物語とユーモアをまじえ、「あらたな視点」をあなたに

才能がある人間が幸せなわけじゃない

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ある大物の男の話。
大物の男には、その男が目に入ってなかった。
そいつを知っているし、いるのはわかっているが何の気にもしていない。
馬鹿で、マヌケで、弱虫で、貧乏で、自分にへつらうしかない、どうしようもないクズ人間だと知っていたから。
しかし大物の男は知らなかった。彼が自分を狙うヒットマンだとは。
油断大敵ね。

馬鹿のフリをする視点蝶

こんにちは、視点蝶です。

少し前に「リオオリンピック」が終わりましたね。
才能ある選手たちの熱い戦いが。

才能のある人の中でも、一握りの才能を持った彼ら。
その羨ましい才能に人々は憧れますよね。
才能があると幸せそうだし、人生全てがうまくいきそうだし。
あー私も才能がほしいわ。欲しい欲しい欲しい!

あれ、でも待って。
才能がある人は、本当に幸せなのかしら?
いえいえ、そんなわけはないわ。世の中はそんなに都合よくできてない。
むしろそのせいで不幸よ!

そういうわけで、今回は「本能」のお話。

才能ある人間は目立ってしまう

才能といってもいろいろあるけど、主なものとして「運動」「頭のよさ」「容姿」がある。

才能があると、もちろん目立つ。
周りとは全然違うし、浮いてみえてしまう。
しかし「目立つ」というのはあまりよくない。

自然の世界では「目立つ」ということは最悪だ。
目立てば周りの動物に襲われやすくなるし、逃げることも隠れることも難しくなる。
目立つ存在は生きていくのは難しくなる。
なので「目立つ」ということは、ある意味「」を意味する。

なので動物は本能的に目立つのを嫌がるし、人間も本能でそう感じているわ。
だから人も基本的には「目立つことを恐れている」。ストレスを感じる。
特に「見られるという行為」を人は嫌がる。

学校や会社で、大勢の前で1人で前にたって発表するはすごい緊張よね。
みんなが自分を見てる。目立っていてストレスだ。

近所の目」という言葉があるぐらい、近所を気にすることもあるわ。
変なウワサがたったり、家の揉め事が近所に広まったりすると、近所を歩くたびにジロジロ見られる。視線があうと、変にそらされる。
なんともいやな視線。ストレスだ。

イジメなんかもそう。
普通の状態では、誰もが自分を見てるわけじゃない、見てる人はほんの一握り。
でもイジメとなると一気に変わる。みんなが自分を見てる。いろんなところで視線を感じる。
自分をみているという緊張感、ストレス。
それは耐え難いものでしょうね。

そんな風に、人は見られるのを嫌がるし、ストレスとなるわ。
普通の人はたまにしか目立つ状況はないが、才能ある人は違う。
才能がある人は、頻繁に目立っている。特に有名人や、容姿が優れてる人なんて、常に目立つ状態におちいっている。
そんなストレスの中にずっといなければいけない。

もちろん、それに慣れる人もいるでしょうね。
しかし、目立つことに慣れているというのは、ある意味異常な状態ともいえる。
本能とは逆にことをしているのだから。
野生のライオンの群れのど真ん中で、緊張してないのと同じ。
命の危険を感じていないと同じ。
それって良いことなのかわからないわね。

才能ある人間は利用されやすい

また才能がある人は、時代によって権力のある人間に利用されやすい

昔の戦争だったら力の強い、足の速い、武力が強い人などの才能ある人間は、前線へ送られる。
頭がいいと、作りたくもない兵器作らされたりもするし。
容姿が高いと、広告塔として利用されたり、権力や欲望の渦に巻き込まれたり。
シゴトがバリバリできると、会社の権力争いに巻き込まれたり。(『課長島耕作』のように)
また、もしどこかの国に占領されたら、才能ある人間は一番に狙われるし。

いやいや、大変よね。
時が変われば、才能のある人間の立場は全然変わってくる。
一般市民が時代に翻弄されやすいともいうけど、才能がある人もけっこう翻弄されやすいといえるわ。

才能があると、まわりに自分を理解してもらえなくなる

本当はけっこう普通の人間なのに、才能のせいで特別な人間なようにまわりから見えてるでしょうね。
普通のことをしただけなのに「すごい!」とか言われたり。
そういうのは得よね。

でも最悪なのは、まわりが本人の「才能しか見なくなる」こと。
本人自身を見ないで、本人の才能ばかりを評価する。
本人は自分をちゃんとみてほしいのに、誰もそうは見てくれない。
本来の自分を認めてくれなくて、とても苦しいことだろうし、「自分はいったい何なのだろう?」と自分を見失うこともあるでしょうね。

いくら本人がまわりに「自分をちゃんと見て!見て!」といっても、みえない。
だって才能がまぶしすぎるのだから。
それはとても悲しいこと。

芸能人が、芸能人と結婚することが多いのはそういうこともあるのでしょうね。
余計なフィルターがなく、その人を見れるし、相手が普通だと知っているし。
本当の自分を見てくれる人と結婚する。
それってけっこう当たり前のことよね。
※まあでも、それが難しいのだけど

そう考えると、ファンが芸能人と結婚できないのはわかるわね。
ファンは、「才能」に惹かれファンになり「才能」を応援する。
そして「才能しか見えなくなる」…
ファンってある意味悲しい生き物よね…
もしファンが芸能人と結婚したいなら、相手を「普通の人」と思って接すると結婚できる可能性がでてくるわ。ガンバ!

本当に才能がある人は「才能を隠す」

こんな感じで才能ある人にはデメリットがあるわ。
才能があってもメリットばかりじゃない。

でも思うけど、本当に才能がある人というのは「才能を隠す人」じゃないかと思うわ。

自分が目立つことを、才能が利用されやすいこと、理解されにくくなることを知っていて、それを隠すことができる人間が、本当に才能のある人間かもしれない。
簡単にいうと、100点とれるのに、わざと合格点の70点の少し上の75点をとるみたいな人。

多分そういう人は世の中にけっこういると思う。
隠れているので、普通には才能あることがわからない。
隠れ、自分のために、時には人のために才能を使っているかもしれない。
なんか普段は地味に一般人にとけこんでいるヒーローみたいね(笑)。

最近は芸能人をつまらなく感じている人は、身近な人で「隠れ才能の人」を探すと面白いかもしれないわね。
もちろん見つけても人にはバラさないで、自分の心の中だけにとどめておいてね。

しかし、そう考えると生きるうえでは「馬鹿のフリ」をしているのが一番いいのかもしれないわ。
相手が馬鹿だと認識したら、自分の存在はまったく見えなくなる。
相手に危害を加えられることもなく、相手は油断しまくり。
そうなったらコッチのもの。
まあ、ヒットマンとかそういう犯罪はしないでね(笑)

まとめ

というわけで才能があるのも大変だ。
いいことばかりじゃないし、むしろ悪いこともけっこうある。
だから憧れの目でみるのもいいけど、たまには同情の目でみてね。
苦労してるんだね…と。
それは失礼かしら?

なので普通の人は、もっと普通にありがたみを感じるべきなのよね。
ああ、普通って最高!普通ってイイ!普通に生まれてありがとう!そんな感じで。
普通であることに自信をもつべきね。

しかし、わたしはたまに「完璧な普通の人」に憧れるわ。
何をとっても、どれをとっても普通の人。ありえないほど平均な人。

まあ、そんな人いないんだけどね。

(おまけ1)芸能人のオーラ

よく一般の人が芸能人にあうと「すごい芸能人のオーラを感じたわ!」という。
しかしオーラの正体は「人に見られていても動じない姿の雰囲気のこと」かもしれないわ。

普通だったら目立つのを、人に見られることを嫌うけど、芸能人は慣れて全然気にしない。
でも本能から考えるとそれは異常なこと。
その光景は異様にみえるはずだ。だって普通じゃないから。異常だから。
そういう異様な空気を人は感じている。
それを良いように受け取って「オーラ」といっているだけかもしれないわ。

まあ、たしかに堂々とした感じには見えるのかもね。
野生のライオンの群れのど真ん中で、緊張してないで堂々と立っているようなものだから。
良いか悪いか別にして。

(おまけ2)頭がいい人がいるのに国はよくならない

時々ふと思うわ。
頭のいい人大学を出た人たちが国を動かしているのに、なぜ国は全然よくならないのか?

政治家とか、官僚とか、もちろんいい大学でてるでしょうに。
才能があるはずなのに。
わたしのような凡人など太刀打ちできないほどの、超脳のスペックがあるにもかかわらず。

まあ、多分それほど真面目にやる気はないのでしょうね。
真面目に国を良くしようと思ってないのでしょう。
国より、自分のこと、「自分の人生」のことだし。

そりゃあ自分の人生を良くすることに集中するわよね。
いかにお金稼ぐか、いかにいい地位につくか、いかに働かないか、いかに楽しく遊ぶかとか。
真面目に考えるの面倒くさいし。
世の中変えるの地味に大変だし、地味に面倒くさいし、地味に時間かかるし。

また逆なのかもしれないわね。
彼らがいるから、最悪な状態にならずになんとか踏みとどまっていると
なんてね。

または、才能がある人が集まると「争い」が起きやすくなるのかもしれないわね。
俺が上だ、いや俺が上だ。という上位を決める競争バトル。
で自分の競争バトルという「ゲーム」に没頭し、国はよくならないと。
もしそうなら『ポケモンGO』がどうだとかいえないわね。
ゲームに熱中して周りが見えないのは変わらないのだし(笑)

まあ何にしろ「才能」だけじゃあ、世の中は変わらないってことかしら。
しょせん人間は、ただの「欲望大好きという本能をもった動物」なのだから。