ある電車でのお話。
母親の横に座っていた小さい女の子が、とつぜん歌いだした。
すると、周りにいた老人もそれに合わせて歌いだす。
「うるせえ~♪」「だまれ~♪」「親は何をやっているんだ~♪」
こんにちは、視点蝶です。
やっと寒い冬がぬけ、最近は暖かくなってきたわ。
暖かくなると、みんな元気に頑張りだす。
私みたいに飛んじゃう人もいるのね(笑)
そのみんな元気が爆発して、本当の一年が始まるのかもしれない。
だから4月は始まりの月。
頑張るのはいいけど、じんわりした暖かさを感じるような気楽さでどうぞ。
そんなわけで、今回は「スキル(技能)」のお話。
大人になったら音楽をやるな!
たまたまネットを散策してたら、質問掲示板のある記事をみたわ。
小さい頃から音楽をやっていて、今も学んでいるであろう人の意見。
大人になったら音楽はやるべきじゃない!
音楽は、小さい頃からやらないと、絶対に身につかないもの。
騒音にしか感じられないので迷惑してる。辞めてほしい!
大人になってから音楽やるなんて、意味がわからない。
簡単にいうと、このような内容。
たぶん、書いた人はプロを目指していて、学んでいる教室には素人も混ざっていて、不快に感じているのね。
大抵の一般の人は、この意見に違和感を感じると思うわ。
大人で音楽を学んでいる人は、たぶん趣味で学んでいるのだろうし、何を楽しもうがその人の勝手だし。
でも、音楽関係の人はどう思っているのかしら?
しかし、この意見はどことなく何か面白い感じがするわ。
そこで、もっと掘り下げてみる。
ただの遊びでしかない
音楽をする人は、特にオーケストラを仕事としているは、何とも高尚な仕事のような感じるし、人から尊敬を集めている仕事ともいえるわね。
誰にでもできるものではないし、長く厳しい道のりをくぐり抜けた一握りの人間にしかできない仕事。
「仕事は、オーケストラでバイオリンを弾いています」とか言われると、臆病な私はビビってしまうわ(笑)
そんなわけで音楽というのは、けっこう特別スキル(技能)。
でも、冷静に考えてみると、本当にそれってすごいことなのかしら?
たまたま音楽が、特別待遇されている社会状況にあるだけじゃないかしら。
もし社会で、音楽が特別待遇されていなければ、音楽をする人はただ遊んでいる人でしかない。
例えば、「輪ゴム飛ばし」。
輪ゴムを遠くへ飛ばせるスキルを、何十年も探求している人がいるとするわ。
たぶん、大抵の人はこういう。
「えっ、馬鹿じゃねーの?」と(笑)
まあ、そこまでじゃなくても「ふーん、酔狂な人もいるもんだね。もっと他のことに時間使おうと、思わないのかな」とか言うのかしらね。
しかし、社会の状況が変われば「輪ゴム飛ばし」が社会で高尚なものと崇められ、尊敬を集める仕事となる可能性だってある。
小さい頃から「輪ゴム飛ばし」を学ばせる親が出てきて、世界へ留学したり、人数が増えれば仕事にするには超狭い門となったりする。
その時に、先のような小馬鹿にしたことは、人は言わないでしょうね。
「すぅご~いぃぃぃ」と憧れの眼差しの目でみる。
なので、結局は社会の状況によって、そのスキルの社会的な価値は決まる。
でも、社会というものを考えなければ、特別スキルは「ただの遊び」でしかないわ。
純粋に生命活動を維持する生活には、意味のないことですし。
特別スキルを持つということは異常な行為
しかし、よく考えてみると、特別スキルを身につけようとする行為は異常といえるわね。
音楽でいうと、微妙な音の違いや、表現の違いを細かく聴き分けたりできるようになったりして、微妙な表現を探求し演奏する。
極端にいうと、「どうでもいいことを細かく細かく気にして追求してる」ことに。
まるで、潔癖症の人がとことん綺麗を追求するみたいに。
まるで、輪ゴム飛ばしの人が、輪ゴムの角度がどうとか、気温によって輪ゴムがどうとか言ってるみたいに。
実際に演奏を聴くであろう一般人は、そんなこと全然わからないのにね(笑)
音楽は小さい頃からやらないと耳ができないから、本当の意味で聴き分けができるのは小さい頃から音楽を学んだ人だけ。でもそれって、そうとう音楽を聴ける人がいないわよね。
そして、何も学んでいない一般人は、わかったふりをすると。
もちろん演奏してる人は、それはわかっている。
それでも人は、特別スキルを身につけようとする。何なのでしょうね。
特別スキルは、しょせん運で身につくもの
音楽は小さい頃から学ぶけど、他にも小さい頃から学び、特別スキルを身につける人がいるわ。
スポーツもそう。オリンピックにいく人は、ほとんど小さい頃からそのスポーツをやっている人だし。
勉強などもそうかな。小さい頃から、よい家庭教師や塾などに通っていれば、特別スキルが身につく。
最近だと、英語もそうね。小さい頃から、外国人教師がいる英語塾に通わせてると、けっこう話せるというし。
そのように小さい頃から学び、特別スキルを身につける人がいる。
しかし、困ったことにそういう人達の中には、そのスキルが弱い人を小馬鹿にするような感じがあるわね。
掲示板の人もそうだけど。
自分はすごい頑張ってスキルを身につけた。それは、たしかにそうなんだけど。
でも、実際は親の影響や、学ぶ場などの環境が大きく影響してくるわ。
それは自ら選んだものではなく、結局は「運」。運の影響がでかいわね。
なので運によって、特別スキルを身につけたといえる。
運で得たものなのだから、運のなかった人を小馬鹿にするのはよくないわね。
「運があったからこそ今がある」という謙虚さがほしいところ。
この話は、別に特別スキルをもっている人だけの話でなく、普通のスキルをもっている人にも言えるわ。
音楽とか、そこまで特別スキルではないが、人によっては普通の人よりは優れているスキルをもっている。スキルがあって仕事できる人は、スキルない仕事できない人を小馬鹿にしたりね。
また、コミュニケーション能力のない人を小馬鹿にしたりね。
まあ、「運はあったけど、ソイツは頑張ってないから悪い!」「運も実力のうちだよ!」とか反論するのだろうけど。
「本当は誰が生み出した運」なのかが、わかっているのかどうかが怪しいわね。
まとめ
で、結局何がいいたいかというと「スキルに対し、もっと気楽に考えようよ!」という話。
最近はどこかスキル!、スキル!、スキル!みたいなギスギスした感じだから。
仕事やら、人間関係やらそういったところでね。
時にスキルって面倒くさいわねーと思うわ。
スキルをあがめるのはいいけど、スキルって本当にすごいことなのか。
スキルがある人間が偉く、ない人はダメ人間か。
本当に自分の力だけで身についたスキルなのか。
とね。
まあ、たしかにスキルは大事ではあるのだけど。
スキルによって、いろんなことが成り立っていたりもするし。
ある意味、スキルによって「人間という存在」が成り立っていたりもするしね(まあ、そのスキルは崩れてきてるけど)。
ただ、もっと気楽に考えてもいい場面が多々あると思うわ。
…
小さい頃、みんな歌をうたっていた。
歌うことがただ楽しくで、別に上手いとか下手とか関係なくうたってた。
しかし、少し大きくなると歌うことが恥ずかしくなる。
自分の歌がそんなに上手いわけじゃないことに気づくから。馬鹿にされるのが嫌だから。
そして、歌うことをやめる。
電車の中で、小さい娘が歌を歌う。
それに対し、大人が一人、また一人と一緒に歌いだす、そんなセカイなら素敵なのに。
あっ、もちろん同じ歌をね(微笑)