本質感

世の中の出来事や日常をモチーフに、「セカイの本質」を考えみつける思考ブログ。物語とユーモアをまじえ、「あらたな視点」をあなたに

丸をつけるべきか、何もつけないべきか、それが問題だ(by シェークスピア?)

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あるビジネスマンのお話。
彼はいつも上司に怒られていた。
営業成績はよくないし、要領が悪く作業も遅いし、いろんなところで失敗しトラブルをおこし上司の反感をかっていた。他の同僚のように、もっと上司を持ち上げるようなことでも言えればいいのだが、口ベタな彼にはそれはできない。
そんな彼がやっといえた言葉は「係長は大きな声を何時間も出せて、いつもお元気ですよね」。
彼を怒っている最中の上司は、さらにブチ切れた。
世の中は勉強ができなくても「よいしょ」さえできれば人生うまくいくと思うわね。

丸をあげる視点蝶

こんにちは、視点蝶です。

みなさんはテストは好きですか?
テストってほんと嫌ですよね。普段はそんなに勉強してないし。
勉強はつまらないし、ほんと嫌です。
勉強して何か意味があるのかしら?
「勉強する意味はなんですか?」と聞かれ、答えれる大人はどれだけいるのかしら?
そこに答えれるのが勉強する意味なのかしらね。

そんなわけで、今回は「正解」のお話。

欧米の丸付けのやり方

欧米では、テストの丸付けの記号が日本とは違うという話を聞いたわ。

日本だと正解だと「○」をつけ、不正解だと「×」をつけるわよね。
でも欧米では、正解だと○でなく「レ」をつけるか、または何もつけない。
そして不正解の時は×でなく「/」を書くよう。
「レ」と「/」って見た目わかりにくそう。

とにかく国や地域や学校によって、丸付けのやり方はいろいろ違うようね。
もし初めて海外に留学したら、丸が一つもないのでショック受けるわ。
それだけ日本では、丸という記号が馴染んでる。

そんな中で気になったのは、正解の時に「何もつけない」ところもあるということ。

丸をつけるべきか、何もつけないべきか

正解の時に「何もつけない」で、不正解の記号だけあるとどうなるのかを考えてみる。

何もつけないメリット

  • 採点する先生には、それだけ記号を書く作業量が減って楽(今の先生は、仕事量がどんどん増えるいっぽうですからね)
  • 間違ってるところが目立つので、何があっているかでなく、何が間違っているかに意識がいき、見直しをされやすい
  • 減点方式で考えやすくなり、合格点を意識する
  • 丸がないので、変な安心感をあたえない

丸をつけるデメリット

  • 答案が○と×の記号で雑然としてて、パッと見でみにくい
  • 丸がついてることで変に安心して、間違いをみない
  • 先生が丸の記号つけることで仕事量が増える(さらに丸は線より労力が高いし)

丸をつけるメリット

  • 丸がついてることで嬉しいし、自信がつく

…これだけ?

そう考えると、何もつけないほうがいいような気がしてくるわ。
たしかに小さい子供の頃は、勉強の自信をつけるために丸をつけてもいいけど、ある程度の年齢の受験生にとっては、丸はなくてもいいんじゃないかしら。
逆にないほうが、みやすいし、間違いを意識するし、見直ししやすいし、先生のシゴトも減るし、丸の数にとらわれず点数だけに意識いくし、減点方式で合格点に目がいきやすいし。

そっちのほうが効率的な気がするわ。

できて当たり前だから、丸はつけない

でもこんなことを言うと丸は大事!子供に自信をつけせないと!」「丸がないと勉強を楽しむ気持ちがなくなる!」「丸がないなんて子供が可愛そうでしょう!とかいって、強く否定されるのでしょうね。
先生とか、お母様たちに。
子供がとっても可愛いですから。
日本人はどこか「気分」で丸をつけることにこだわるわよね。

しかし、テストで丸をつけて自信をつけさせようとするくせに、他ではそういうことはしない

小さい頃や小学校ではいろんなことを過剰に褒めるけど、中学、高校になったら褒めることなんてあまりしないわ。
少し良いことをする、少し頑張ったくらいじゃ褒めたりはしない。
それができて当たり前だろ」みたいな空気になる。
大人になったらさらに酷いもの。

そのうえ、○はつけないで×ばっかりつけるようになるわ
間違いばかりを指摘するようになる。欠点ばかりを。
悪いところだけに口を出し、良いところなんて口を出さない。

これってどういうことかしら。
×だけのほうがその子を見やすいし、その子に欠点があると意識しやすいし、○をつけなくてもいいので先生のシゴトが減るし、丸の数にとらわれずその子の点数が何点かに集中できるし、欠点の数でその子の合格点かどうかわかりやすいってことかしら。

たしかに効率的ね。

まとめ

だいぶ皮肉めいたことをいってしまったわね。
言いたかったことは「日本人は子供が小さい時しかあまり褒めないし、次第に×ばっかりつけるようになる」ということ。

大きい出来事は褒めるけど、小さい出来事は褒めない。
少し頑張っただけでも「できて当たり前」みたいになって褒めたりしない。
昔は「立った」だけでも褒めたのにね。

また子供を褒めることといったら「テスト点数」か「部活の成績」ぐらいのもの。
点数」のつく何かでしかない。また過程でなく、結果だけ。
褒めることのボキャブラリーのなさに驚くわ。

まあ日本人は褒め慣れていないっていうのもあるけど、「できて当たり前」という空気が強い気がする。
日本人はどこか自然と成長すれば「普通」になると思っている。
みんなができれば、同じように「普通にできる」ようになると思っている。
そんなわけないのにね。なんなのかしらね、この妄想は?
むしろ、できないことばっかりなのにね。
みんな「できているフリ」をしているだけではないかしら。

そう考えると、人に対しては「何もつけない」より「○」をつけたほうがいいのかしらね。
丸が1つもなく、いつも「×」だけだと自信なくすし。
普段からお互いがいろんなところで、どんどん丸をつけれたらいいのにね。

丸をつけるのは大変だけど、先生達には頑張ってもらわないと。
もちろんここでいう「先生」は、先生のことじゃないけどね。
よいしょ、よいしょ。